1965年から1973年まで9年連続日本一に輝いた巨人軍のV9時代を支えたのは、巨人生え抜きの選手ばかりではない。中日、西鉄を経て1971年に入団した左打ちの一塁手、広野功氏は代打の切り札として活躍した。1971年のヤクルト戦で「代打逆転サヨナラ満塁本塁打」を放ったときの思い出を、広野氏が語った。
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忘れられないのは、北陸遠征、5月20日のヤクルト戦です。3対5とリードされていた9回裏、満塁の場面でお呼びがかかりました。
この前日、僕は代打で見逃しの三球三振を喫していた。そのためこの試合ではなかなか使ってもらえず、僕以外の左の代打を使い果たした状態になってお呼びがかかりました。一塁コーチャーズボックスにいた川上(哲治)さんからも、「今日はバットを振れよ」と睨まれました。
もっとも結果的には前日打てなくて良かったのかもしれない。相手は右アンダースローの会田照夫。本来なら左投手が出てきて「代打の代打」もありうる場面ですが、前日の凡退があるからか相手は続投させてきたのです。
1球目は外角低めのシンカーを見逃してストライク。おそるおそる一塁を見ると、川上さんがさらに凄い形相になっている。あれは怖かった(笑い)。次はなんでもいいからとにかく振らなければと思い、2球目をすくい上げるように打つと、打球はライトスタンドに突き刺さりました。
川上さんは大喜び。三塁コーチに立っていたヘッドコーチの牧野(茂)さんに抱きつかれるようにホームインする時には、ランナーで出ていた長嶋(茂雄)さん、王(貞治)さん、黒江(透修)さんが迎えてくれた。嬉しかったですね。
その試合後の移動バスの中では、土井(正三)さんが“ヒーローインタビュー”をしてくれました。おどけて、「この喜びを一番先に誰に伝えたいですか?」と聞きながら、小さな声で土井さんが「(打撃コーチの)山内(一弘)さん、といえ」と囁く。その通りに答えると、バスの中がワーッと沸く。ものすごくいいチームでした。
※週刊ポスト2014年11月28日号