11月10日悪性リンパ腫に侵され、都内の病院で亡くなった高倉健さん(享年83)。俳優として揺るがぬ地位を築いてきたが、これまでプライベートをほとんど明かしてこなかった。そんな秘密主義を貫く健さんだったが、生涯で一度だけ私生活を共有した人物がいた。
それが1959年2月に結婚した江利チエミさん(享年45)だった。彼女は美空ひばり、雪村いづみと“三人娘”と呼ばれた昭和を代表する歌手だ。
「交際当初、お互い多忙な日々を送っていたふたりは、なかなか会うことができなかったそうです。
あるとき健さんは“風邪を引いて、入院した”とチエミさんに連絡。心配した彼女が病室に駆けつけると“あなたに会うための仮病でした”と頭を下げたんだとか。人一倍厳しい健さんの意外な行動を、後にチエミさんから聞かされてビックリしたことを覚えています」(チエミさんの知人)
めでたく結婚した後も、チエミさんは人前でさえ健さんを“ダーリン、ダーリン”と呼び、幸せな家庭生活はいつまでも続くかに思われた。だが、1962年、待望の子宝を授かったものの、流産してしまう。さらに追い打ちをかけるように、1970年には自宅が全焼するという不運も重なり、ついには1971年に離婚してしまう。これはチエミさんからの一方的な申し入れだった。
当時のことを健さんはあるインタビューでこう振り返っている。
《自分の女房に突然離婚を宣言されるなんてことは、誰にでもあることではないと思うんです。結構うまくいってると自分では思っていたのですが》
決して憎しみ合って別れたわけではなかった。後日、チエミさんと親交が深かった清川虹子さん(享年89)は、こんなことを明かしている。
「チーちゃんは健ちゃんと約束してたんです。“世の中が私たちのことを忘れたら、ダーリンまた一緒になってくれる?”と。健ちゃんも“そうしよう”と答えたんです」
だが、その“約束”が果たされることはなかった…。1982年2月、チエミさんは自宅マンションで吐瀉物を喉に詰まらせて窒息するという不慮の死を遂げる。以降、健さんは女性の噂を立てられることは、ほとんどなかった。
「報じられてはいないんですが、ある大物女優が若かりし頃共演した健さんにゾッコンになってしまったことがありました。しつこく結婚を迫ったそうなんですが、健さんは決して首を縦に振ることはなかったそうです。それはチエミさんへの思慕があったからだといわれています」(別の芸能関係者)
“再婚”の声が聞こえてこない健さんに“同性愛者”疑惑が巻き起こったことも。心ない中傷に胸を痛めた健さんは、本誌の取材に偽らざる気持ちを打ち明けている。
「ぼくホモだって、いわれることもあるんですよ。どうしてかな…あなたどうしてだと思いますか?」
結局、誰とも再婚することなく“孤独”を貫き通したのだった。健さんのチエミさんへの“殉愛”を示すエピソードがある。
彼女が亡くなってから4年後の1986年、健さんは離婚前年に全焼した家が建っていた土地に約2億円の豪邸を建て直した。
「もちろんチエミさんとの思い出が詰まった場所ということもありますが、チエミさんが眠るお墓がそこから約200mほどの場所にあったから、そこに家を新築したんです。健さんは人目を忍んでは、チエミさんの命日に墓前で手を合わせていたそうです」(前出・芸能関係者)
※女性セブン2014年12月4日号