若者のみならず幅広い世代の女性から、おしゃれの楽しみのひとつとして受け入れられているネイルアート。色鮮やかにアートされたネイルは、いつだって私たちの気分を盛り上げ、女性としての力を与えてくれる。
そんなネイルに特に強いこだわりを持つのが、浜崎あゆみ(36才)だ。ライブステージに上がる前の彼女は必ず衣装や気分に合わせてネイルを施す。地方であろうが、海外であろうが関係なく、彼女のそばにはいつもネイリスト・迫田愛子さん(33才)の姿があった。
東京・渋谷、若者のファッション文化の発信地であるこの場所に、迫田さんがプロデュースする「esネイル」渋谷本店はある。
2003年にこの場所に1号店を出店した彼女は、2005年に新宿、翌2006年に池袋と店舗を拡大し、今では都内以外にも大阪、名古屋など国内に8店舗、そしてアメリカ・ロサンゼルスに2店舗と展開していった。
道端ジェシカ(30才)や紗栄子(28才)、木下優樹菜(27才)、AKB48のメンバー、デヴィ夫人(74才)から、レディー・ガガ(28才)やミーシャ・バートン(28才)、セレーナ・ゴメス(22才)といった大物海外セレブたちも顧客に持つ迫田さん。
なかでも、2009年に『MTV VIDEO MUSIC AWARD JAPAN 2009』のイベントで来日したケイティ・ペリー(30才)のネイルは大きな話題となった。
「彼女のその日の衣装は日本を意識した海老や鉄火巻やかっぱ巻きなどのお寿司が取り付けられたものでした。ネイルについてもお寿司をテーマにリクエストされたのですが、普通に絵で描くよりも3Dで表現した方が衣装に合うと考え、1時間ほどかけて急きょモチーフを作りネイルに仕立てました」(迫田さん、以下「」同)
今では最も有名なネイリストのひとりである彼女だが、サロンをオープンするまで、ネイルとは全く無縁の生活を送っていた。兵庫県神戸市に2人姉妹の妹として生まれた迫田さん。笑顔が印象的な彼女だが、幼いころの彼女は泣いてばかりいたという。
「保育園に通っていた時は特にひどかったですね。今も直ってないんですが、すごく人見知りだから保育園にいたくなかったんです」
そんな彼女に強い影響を与えたのは母の存在だった。
「母は普通の主婦だったんですが、明るくて気が強い人。小学校低学年の頃、私が男の子に蹴られて泣いて帰ると、慰めるどころか、“いじめられて泣いて帰って来るんじゃない! 絶対に負けて帰ってくんな!”ってめちゃくちゃ怒られました。そこからですね、負けたらダメなんだって思うようになったのは」
両親の離婚から2年間、北海道で暮らした後、母の実家に近い奈良へと引っ越した2人。母子家庭で決して裕福ではなかったが、母は京都の私立高校へ迫田さんを進学させた。
「京都の高校は制服が山本寛斎さんのデザインで、それを買うだけで20万円くらいかかりました。でも私がどうしても勉強が好きになれないから、美術科のある高校に行かせてくれたんです」
迫田さんは高校で油絵を中心に勉強していたが、彼女が高校3年生の時、母に異変が起きてしまう。
「母は離婚後、幼児教育の仕事をしていたんですが、急に精神的に参ってしまって働けなくなってしまったんです。学費も払えないし、学校に行ってる場合じゃないとも思いました。でも、どうしても学校は辞めたくなかったんです」
高校を1年間休学して母の分まで働いて学費を稼ぎ、4年目はアルバイトをしながら学校へ通い、高校はなんとか卒業した。大学へ進学したい気持ちもあったが、彼女は母を連れて東京で働くことを決めた。
「アルバイトの先輩に紹介された広告代理店に、絵画を売る営業として就職したんです。でもどうしても将来が見えなくて、3年くらい働いてから“社長のことは尊敬してますし、仕事も嫌じゃないですけど、これ以上は働けません”って言いました。そしたら社長も変わった人で、“おれももうやりたくない気がする”って返してきたんです。
しかも、“愛ちゃん、何やりたいの?”って逆に聞いてきて…。そんなことを言われると思ってなかったから、とっさに“ネイルサロン?”って言ったんです(笑い)。たまたま2、3日前に行ったネイルサロンのことを思い出しただけなんですけど、社長が“わかった。でも、自分でやりたいって言ったことだから、途中でやめるのはナシだよ”って」
※女性セブン2014年12月18日号