【話題の著者に 訊きました!】
『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』/江國香織さん/朝日新聞出版/1836円
最後のページを読み終えて、ほっこり温かな充足感に包まれた。言葉をうまく話せない5才の拓人は、ヤモリやカエルと気持ちを通わせることができる。8才の姉の育美が学校から帰ると、2人は外に遊びに行く。送り出す母親は、愛人のもとから帰らない夫にいらだっている。そしてピアノの先生、隣家の主婦など、それぞれ事情を抱える人たちを巻き込んで物語は進んでいく。
「言葉を持たないものたちの物語を書いてみたいと思ったんです」
と江國さんは語る。小さな子供にとっては、今ここにいるという身体感覚がすべてだ。それが大人になると、知恵がつく一方で、多くのものを失ってしまう。それは言葉のせいではないかと江國さんは言う。
人は考える時も、記憶する時も言葉を使う。「結婚しようって言ったのに」、「変わらないと言ったじゃない」と、相手や愛情ではなく言葉を信じようとしてしまう。同じ1日でも、すばらしい物語の始まりにすることもできるし、あの日からすべてが狂ったと恨むこともできる。身体感覚から離れて、言葉にがんじがらめになっているというのだ。
「言葉を放棄して原始時代のように暮らすことはできませんが、言葉があるから厄介になっている。言葉があるゆえに気持ちが平らかでいられない。そこを書きたかったのです」(江國さん、以下「」内同)
江國さんの作品には、既婚者の恋愛がしばしば描かれる。
「浮気をすすめているわけではなく、固定観念を揺らしたい気持ちがあるんです。恋愛だけではなくて、子供はこういうもの、日本はこういうところと信じ切って疑わない状態は怖い。疑問の入る余地を持っていたほうが健全だと思います」
例えば、「女性は働くべき」、「結婚こそ幸せ」といったことは絶対的な正解ではない。しかし最近は、
「正解があると思っている人が増えているような気がします。不倫がいいか悪いかではなく、裁こうとすることが怖いのです」
数年前、江國さんは仕事でカナダに滞在した時、毎朝ひとりでホテルの近くの公園を散歩した。やはりひとりで歩いている高齢の人と何人かすれ違ったが、一様に気難しそうな顔をしていた。
「その時、気がついたんです。気難しくない人なんていないんだって。ひとりで世界に向かい合っているという意味ではみんな孤独。その人のすべてがわかるのは本人だけで、共有できないものを持っている。それぞれが独特の生きものであることを感じました。以来、小説を書く時に何かが変わった気がします」
世界は多様な生きもので満ちている。自分の周りを見る目が少しやさしくなる小説だ。
(取材・文/仲宇佐ゆり)
※女性セブン2014年12月18日号