81歳でこの世を去った菅原文太さんには武闘派イメージが強かったが、その内実は「知性の人」であり続けた。俳優業も晩年の社会活動も、思索に思索を重ねた結果だった。
映画関係者は「昔から政治に強い関心を持っていた」と口を揃える。それは通信社記者の父を持ち、ジャーナリスト志望であったこととも無関係ではないだろう。仙台一高時代には新聞部に在籍し、1年後輩の作家・井上ひさし氏の原稿に赤字を入れていたエピソードも持つ。
東日本大震災以降、遅々として進まぬ復興や、原発問題に対する政治の無策に憤りをあらわにした。「役者引退」を宣言した2012年には政治活動グループ「いのちの党」を結成。当時、「今の政治家はクズだ」「本腰を入れて、国の掃除を始める」とも語っていた。
「いのちの党」の結成メンバーであり、深い親交があったジャーナリストの鳥越俊太郎氏がいう。
「付き合いを重ねるうち、菅原さんが心の底から今の日本と日本人の有り様を憂いていることがよく分かった。彼は、豊かな社会になったのに“人の命”がないがしろにされているこの国をどうにかしなければならないと必死だった。
そのためには俳優として残された時間を過ごすより、農業や政治に関わっていくほうがその目的に近づけると考えたのではないか。戦中・戦後の貧しい時代を共有してきた我々の世代が発言していかなければいけないと彼は考えていた」
※週刊ポスト2014年12月19日号