ウイスキー造りに情熱を注ぐ国際結婚夫婦の格闘がお茶の間の笑いと涙を誘い、平均視聴率20%超と好調を維持するNHK朝ドラ『マッサン』。モデルとなった竹鶴政孝・リタ夫妻を知る子孫はドラマをどのように観ているのか。夫妻の孫・竹鶴孝太郎氏(61)が、祖父母との秘話を明かした。(文中一部敬称略)
「もちろん毎朝楽しみに見ていますよ。NHKからは『大筋は忠実にやりますが、視聴率が悪くなったりすると、筋が変わる場合もあります』といわれていましたが、今のところかなり事実に忠実だと思いますね。今回のドラマはラブロマンスあり『プロジェクトX』みたいな歴史検証もありで、NHKの気合いを感じています」
孝太郎氏はそう語る。
1894年、広島にある竹鶴酒造の三男として生まれた政孝は、大阪の酒造会社での修業中、スコッチウイスキーの製造法を学ぶため単身スコットランドに渡航。そのときに2歳年下のリタと出会い、結婚する。
政孝は帰国後、勤めていた酒造会社を退職し、寿屋(現・サントリー)に入社。大阪・山崎のウイスキー工場の初代工場長となるが、その後独立し、1934年に大日本果汁(現・ニッカ)を創立。北海道余市でウイスキー造りを始めた。
「亀山政春役の玉山鉄二さんとエリー役のシャーロット・ケイト・フォックスさんとは2日間ご一緒して祖父母の人物像をお伝えしました。祖母の若い頃は表情が乏しくて、物寂しく見える写真が多いんです。
だから私が晩年の祖母と一緒に映った写真をシャーロットさんにプレゼントしたら、彼女は涙ぐんでいました。幸せそうな祖母の写真を見て感じるものがあったんでしょうね」(以下、カギ括弧内は孝太郎氏)
孝太郎氏の父・威(たけし)は政孝の姉の子で、戦時中の1943年に政孝・リタ夫妻の養子となった。その6年前の1937年、政孝は正装した自らの肖像写真とともに威を養子にしたい旨の手紙を広島の姉に送っている。政孝は余市から威を迎えに広島に赴くが、その時リタは同行しなかったという。
「戦時中でしたから、祖父はひと目で白人とわかる祖母に長旅をさせるのは危険だと判断したのでしょう。養子縁組が成立した時の記念写真にも祖母は写っていませんが、私にはそれが祖父が祖母を守った証のように思えるんです」
【プロフィール】
◆竹鶴孝太郎(たけつる・こうたろう):1953年北海道余市生まれ。15歳まで余市町に住み、幼少期から少年期までを政孝およびリタと同じ屋根の下で過ごす。青山学院大学を卒業後、ニッカウヰスキーに入社。約20年間勤務した後退社し、ブランドコンサルタントとして活躍。現在、ビジュアル制作大手・アマナの事業開発室室長を務める。著書に『ウイスキーとダンディズム 祖父・竹鶴政孝の美意識と暮らし方』(角川oneテーマ21)、『父・マッサンの遺言』(監修、KADOKAWA/角川マガジンズ)。
※週刊ポスト2014年12月19日号