『トラック野郎』や『仁義なき戦い』での武闘派イメージが強いゆえに誤解されがちだが、菅原文太さん(享年81)は「知性の人」であり続けた。俳優業も晩年の社会活動も、思索に思索を重ねた結果だった。
『トラック野郎 爆走一番星』でマドンナを務めたあべ静江が振り返る。
「『男はつらいよ』のオファーと同じタイミングだったことを覚えています。私は文太さんの出演する深作欣二作品の大ファンでしたから、何の迷いもなく『トラック野郎』を選んだんです。
やくざ映画全盛の時代で、私には出演者やスタッフがみんな“本物”に見えちゃって(笑い)。ちょっと怯えていたんですが、文太さんは違った。穏やかで優しい目をしていたんです。地方ロケの打ち上げでは、ずっと熱く演技論を語ってくれた。お芝居にかける真剣さを感じましたね」
もうひとつの代表作『仁義なき戦い』でも、一役者という枠にとどまらないアイディアを出し続けた。当時の菅原を知る、元東映宣伝部部長の福永邦昭氏がいう。
「『仁義』は、文さんが企画段階から参加した作品でした。おそらく俳優がゼロから映画制作にかかわった最初の作品ではないでしょうか。文さんは宣伝広告の写真を撮影する際、カメラマンと2人で京都のホテルに1週間缶詰めになって“リアリティとは何か”をとことん話し合ったそうです。途中からは深作監督も加わって“虚構”ではなく“実際のやくざ”を作ることに情熱を持っていた」
※週刊ポスト2014年12月19日号