12月20日に開業100周年を迎える東京駅。堂々たる風格で佇む歴史的建造物の設計者は「日本初の建築家」の一人、辰野金吾だ。
「東京駅の外観はさながら、横綱の土俵入りのよう。丸いドーム屋根は大銀杏。横長の駅舎は両手をいっぱいに広げ、ググッと腰を割った低い姿勢。中央入り口はクイッとアゴをあげた顔──。威風堂々たる雄姿です」
東京大学名誉教授で建築史家の藤森照信氏がこう表現する東京駅は、辰野の集大成であり、まさに“横綱”の称号がふさわしい歴史的建造物だ。
1854年に唐津藩(現佐賀県)の下級役人の家に生まれた辰野は、工部大学校造家学科(現東京大学工学部建築学科)を卒業後、西洋建築を学ぶためイギリスに留学し、ロンドン大学で学ぶ。帰国後は母校の教壇に立つかたわら、多くの建築を手掛けた。
1896年には、現在も残る堅牢な石造りの日本銀行本店を完成させた。これは西洋人による設計が主だった時代にあって、日本人が設計した初めての国家的建築プロジェクトとなった。
1902年には大学を退官し、日本初の建築家として設計事務所を開設。懇意にしていた実業家・渋沢栄一の支援を受けた辰野は、日本銀行大阪支店や東京火災保険会社、国技館などの設計に携わる。彼の成功により、建築家という職業が広く社会に認知されるようになり、民間の設計事務所が次々と開設された。
東京駅はもともとドイツ人鉄道技師が設計を任されていたが、関係者の評判が良くなかったため、1903年に辰野に設計が引き継がれる。
「ドイツ人技師は、ヨーロッパ建築の壁体に寺院風の屋根を載せた和洋折衷のデザインを提案していたのですが、辰野はそれを捨て、鉄骨レンガ造りの洋風デザインに変更したのです。赤レンガに白のストライプが映える建築様式は、イギリスで学んだクイーン・アン様式を独自にアレンジしたもので“辰野式”といわれた。ドーム内を干支や秀吉の兜で装飾するなど、斬新な試みもある」(藤森氏)
延べ74万人の職人が携わって1914年に完成した東京駅は、4面のホームに8本の発着線を擁する東海道本線の起点として華々しく開業した。
辰野が生涯に手掛けた建造物は約200に及び、銀行や駅、ホテル、発電所、個人住宅など、ジャンルや建築様式は多岐にわたり、現在、8か所が国の重要文化財として残る。
※週刊ポスト2014年12月19日号