【書評】『皇后美智子さま 全御歌』秦澄美枝 釈/新潮社/2500円+税/
【評者】平山周吉(雑文家)
岩波新書の新刊で、永田和宏『現代秀歌』という短歌の本が出た。百年後まで残したい戦後の秀歌百首のアンソロジーだ。その中に、和歌の家元ともいえる皇室から唯一選ばれた歌人がいる。美智子皇后である。岡井隆、寺山修司、俵万智らとともに、代表的歌人として認定されているのだ。
『皇后美智子さま 全御歌』は、佳人にして歌人の、宮中入りから傘寿の現在までの道のりを、三十一文字に込められた思いをわかりやすく解説しながら辿っている。
「かの時に我がとらざりし分去れの片への道はいづこ行きけむ」は平成七年の作。「道」は「窓」とともに皇后にとって重要なキーワードだが、もし「わが君」と結婚せず、別の道を選択していたらと、「回想と、想像とから人生を述懐する御歌」であるという。バッシングによる失声症という危機を経ての作だけに、苦悩の深かったことを激しく想起させる。
「いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし」はサイパン慰霊の折の作。米軍が撮影した海へと身を投じる女性像があざやかに蘇る。釈(解説)によると、源平合戦の悲しみを詠んだ『建礼門院右京大夫集』に通じる「尊くも悲しい哀悼」が込められているとのことだ。
「平和ただに祈りきませり東京の焦土の中に立ちまししより」は「天皇陛下御還暦奉祝歌」。疎開先から戻った日からの変わらぬ「平和」への希求があざやかだ。この御歌は本書の中で、例外的に二度掲出される。両陛下にとっては、最重要の作なのだろう、とわかる。
「あづかれる宝にも似てあるときは吾子ながらかひな畏れつつ抱く」は浩宮(皇太子)誕生を詠む。男児誕生の安堵は、如何ばかりだったか。宮中で初めて子育てを自らの手で成し遂げたゆえに、「吾子」は多く詠まれている。気づいたのは皇太子に比し、礼宮(秋篠宮)が少ないこと。長男の時は物珍しくて大量に撮影し、次男が冷遇されているわが家の家族アルバムを思い出した。われら庶民と変わりがないことが微笑ましい。
※週刊ポスト2014年12月26日号