天皇・皇后は行幸啓を除けば、1年の大半を御所(皇居)で過ごし、一般のレストランなどで外食することはほとんどない。天皇の食事を作るのが、宮内庁管理部大膳課に所属する料理人である。まさに天皇の健康と胃袋を支える彼らは、数少ない「オク(天皇の日常生活)」を知る存在といえる。
かつて昭和天皇に「料理番」として仕えた和食料理人・谷部金次郎氏(68)と、フレンチシェフ・工藤極氏(63)が、今まで語られることのなかった「天皇家の食卓」について明かした──。
谷部:戦前は「現人神」の陛下に料理を作るわけですから、それは大変だったようです。厨房の横にはお風呂があり、料理人は身を清めてから支度を始めたそうです。ただ、江戸時代の将軍と違って毒味係がいたわけではありません。
工藤:終戦直後は宮中でも食材の確保に苦労したという話を聞きました。陛下ご自身が「ヤミ米には絶対に手を出すな。配給米だけでいい」とおっしゃっていたと。
谷部:そうした教えを受け継いでいることもあって、大膳課には陛下の命をお預かりしているという責任感や自覚がありました。
工藤:調理に失敗すると生きた心地がしませんでした。僕は血の気が引いたことがあります。晩餐会の時に平目で帆立を巻く料理があって、僕と先輩が平目の骨を抜く担当になった。陛下の御食事の魚の中に骨はないというのが大膳の決まりなので。
谷部:和食もそう。陛下にお出しするお魚は小鰺とかといった小さなものはそのままですが、秋刀魚などは中骨を抜くだけでなく、小骨の部分を全部ピンセットで取り除いてからお出しする。
工藤:ところが、その晩餐会の時に、陛下に骨のある平目が配膳されてしまった。すぐに侍従職を通じて主厨長に連絡が入ったのです。正確には僕だけでなく主膳係のミスでもあるのですが、みんな青い顔をしていました。
●谷部金次郎(元宮内庁大膳課厨司)
埼玉県出身。日本銀行霞町分館で料理人の修業をした後、1964年から26年間、宮内庁管理部大膳課第一係(和食担当)。
●工藤極(元宮内庁大膳課厨司)
東京都出身。フレンチレストラン「代官山 小川軒」での修業を経て、1974年から5年間、宮内庁管理部大膳課第二係(洋食担当)。現在は、東京・江古田駅近くのフレンチビストロ『サンジャック』のオーナー・シェフ。
※週刊ポスト2014年12月26日号