天皇の食事を作るのは、「宮内庁管理部大膳課」に所属する料理人である。天皇の健康と胃袋を支える彼らは、数少ない「オク(天皇の日常生活)」を知る存在といえる。かつて昭和天皇に「料理番」として仕えた和食料理人・谷部金次郎氏(68)と、フレンチシェフ・工藤極氏(63)が、今まで語られることのなかった「天皇家の食卓」について明かした──。
和食担当は宮中祭祀や行事で出す料理の調理、洋食担当は宮中晩餐会での要人のもてなしも重要な仕事だった。
工藤:戦前は大膳課には70人も80人も料理人がいて、予算も青天井だったそうですが、僕の頃は和食担当7人、洋食担当7人。宮中晩餐会などの大規模な食事のときは大変です。
谷部:和食係が最も忙しいのは元日の朝です。まず宮中祭祀の「晴の御膳」を作る。儀式として陛下が箸をつけるだけの御膳ですが、そのために作り方が代々継承され、何日も前から仕込みをする。
加えて両陛下の1年の最初の食事となる「御祝先付の御膳」も用意する。それらを7人でやるわけです。
正月といえば、ある年の元日、陛下が思いも寄らない質問をされたことがありました。供進所で待っている私に主膳(配膳)係が駆け込んできて、「昨日の紅白歌合戦はどっちが勝ったの」と聞くんです。
陛下はご覧になっていたものの、元日は早朝から忙しいので途中でお休みになられたらしく、結果を知りたかったようでした。ところが、我々も翌朝に備えて早々に寝てしまっていたので誰も答えられなかったのです。
工藤:そうはいっても、戦前の大膳課の苦労は僕たちの比ではなかったのでしょうね。
●谷部金次郎(元宮内庁大膳課厨司)
埼玉県出身。日本銀行霞町分館で料理人の修業をした後、1964年から26年間、宮内庁管理部大膳課第一係(和食担当)。
●工藤極(元宮内庁大膳課厨司)
東京都出身。フレンチレストラン「代官山 小川軒」での修業を経て、1974年から5年間、宮内庁管理部大膳課第二係(洋食担当)。現在は、東京・江古田駅近くのフレンチビストロ『サンジャック』のオーナー・シェフ。
※週刊ポスト2014年12月26日号