知られざる業界紙や専門誌の世界――今回は「充実した人生を送るための趣味の本」がキャッチコピーの“石”の専門誌『愛石』をご紹介する。
『愛石』(愛石社)
創刊:1982年
月刊誌:毎月15日発売
発行部数:1000部
読者層:50~90才の、盆栽を愛する男性を中心とした、山や河原の自然石を愛でる人たち。
定価:1,400円
購入方法:書店には置いていないため直接発行元『愛石社』に注文
『なんでも鑑定団』(テレビ東京系)に出品された“河原で拾った石”に150万円の値がついたことがある。
「あの山水石は、山と湖と入江が最も理想的な形をしていましたね」
『愛石』の主宰者、立畑健児さん(66才)はそう語る。
室内で観賞する石を水石といって、台座や水盤に据えて観賞する風雅な趣味が、盆栽と並んで、室町時代にはすでに確立していたそうだ。
河原に石を探しに行くのは「探石」で、その仲間は「石友」。石は拾う、ではなく「揚げる」と、独自の“石語”がある。
「日本中で“探石”の大ブームが起きたのは昭和35年から40年にかけて。1000万円で買い取られた石があったそうです。戦前では家一軒と、豊臣秀吉の時代は城と交換した殿様もいたそうですよ」
立畑編集長の言葉に思わず身を乗り出すと、「いやいや、今は20万円の値段がつけば大したものですよ。多くは数万円。1000円のものも、値がつかない石もあります」とのこと。
とはいえ、取引値の多寡にかかわらず、愛好の士たちは、今の時代も健在だ。同誌読者のほとんどは、地域の同好会に所属し、駅ビルやホテルなどで開かれる展示会に自慢の一品を持ち寄って展示観賞する。そこに興味深そうに眺めている来訪者がいたら、会に勧誘する。講師を呼んだ勉強会もある。こうした会が全国で約400あるという。
そんな石好きが最も張り切るのが「探石」だ。もっとも、誰でも行けるところに、価値ある石が転がっているほどこの世界は甘くない。
連載記事の「ジプシードライブ探石旅行」や「続 石は友達」に、その苦労が余すところなく記されている。
たとえば11月号で、新潟の男性はこう綴る。「小生は…山蛭に取りつかれて往生した。以前、このあたりでアブの集団にしつこく追いかけられ、手で振り払いながら逃げ回った記憶がある。…マムシにも要注意だ」。
12月号「厳冬期の愛知川探石」の投稿には、過酷さとそれをしのぐ情熱があふれる。
「愛知川(滋賀県)といえば蒼黒石、蓬石狙いである。希望を膨らまして集中力を高め、探石を続けた。開始1時間半くらい経過した頃から、風が強まり、気温が下がり、頭の両側が痛い。…動いていないと寒くてやりきれない、…水鼻は垂れる。小便をしたいが、4枚も履いているから出すのが大変。失禁パンツを履いてきたほうがよかったのかな? なんて考えながら、我慢、我慢、辛抱、辛抱の探石が続く」
同好会の「石友」も一枚岩とばかりいかないようで、大正生まれの年輩の女性のこんな声もある。
「私は会に入って知った。おおむね良い石の出場所を見つけた者が、簡単にその場所を人に教えないことを。教えるにしても満足するだけの石を確保してからであり、中には山ほど持ちながら、誰が聞いても笑って教えない人もいる」
それでも、ひとりで持てない大きな石は仲間で力を合わせて車まで運んだりすることもあるというから、愛好の士たちの“距離感”はさまざまだ。
20畳ほどの広さの『愛石』編集部には、全国から寄せられた水石が所狭しと並んでいる。
「以前は2000部発行して書店に置いてもらっていましたが、読者は高齢者が中心ですから、年々、お亡くなりになったりして、現在は1000部を直販だけ。
原稿は専門家や読者に依頼しますが、編集やカメラ、デザイン、雑誌の発送、事務仕事はすべて私ひとりでしています」
と獅子奮迅の立畑さん。
「石も人間も同じ自然界のもの。ここさえなければ、という欠点が必ずあります。そこを“味”として受け入れると、見える景色が大きく変わるんです。ほら、これなんかよく見ると、色気のある石でしょ?」
目を細めながら、掌中の丸い石を、まあるく撫でる姿が何とも印象的であった。
取材・文■野原広子
※女性セブン2015年1月8・15日号