「最期を看取った献身的な養女という美談として報じられていますけど、そんな単純な話ではないんです。数多くないとはいえ、生前の健さんと親しかった人たちにはそれぞれの思いがある。なのに彼女は健さんの死後、どんどん遺産処理を進めている。ちょっと待って、私たちにも意見を聞いてよ、という声も出ているんです」
こう語るのは、昨年11月10日、悪性リンパ腫で亡くなった高倉健さん(享年83)を昔からよく知る芸能関係者だ。彼が憤りをにじませるのは、昨年末、『週刊文春』(1月1・8日号)で報じられた《高倉健に養女がいた!》という記事に登場するその“養女”についてだった。
生前、プライベートを曝すことを極端に嫌い、私生活も常にスターとしての自覚を持って、その男気溢れる生涯を貫いた健さん。もちろん、そんな彼に“養女”がいたという事実は誰も知らなかった。そんななか、同誌で突然「養女」と名乗り出たのは、元女優・Tさん(50才)だ。彼女は病床に伏せる健さんの看護をひとりで続け、病室で健さんの最期を看取った女性だった。
同誌によれば、Tさんが養女として正式に養子縁組されたのは2013年5月。健さん本人が「長年世話になった人に財産を残したい」と望んだためだったという。
Tさんは健さんの食事や洗濯、掃除など身の回りの世話をすべてして、ときには相談相手になるなど、献身的に健さんに尽くしたのだという。『週刊文春』には、こう記述されている。
《彼女が健さんの“特別な存在”だったことは間違いない。健さんとTさんは年齢差が三十三歳あるが、妻であり、母であり、娘でもあったのかもしれない》
冒頭でとまどいを語った芸能関係者が、こう続ける。
「健さんが亡くなって1か月ほどが経ったころ、Tさんの弁護士から健さんの個人事務所・高倉プロモーションに突如、一通のメールが送られてきたそうです。それは“今後、高倉健に関する一切の業務は相続人のTが担当する”といった旨の内容だったと聞いています。さらに、そのメールには12月24日付で東京・赤坂にある事務所を明け渡し、すべての従業員を1月末に解雇するということも含まれていたそうです」
Tさんの弁護士に、この件に関して、話を聞くと、
「高倉プロモーションには、従業員は1人しかいません。そのかたは健さんの秘書のようなお仕事をされていました。健さんが亡くなられた以上、当然することがなくなります。お仕事がなくなったので、話し合いをして、1月末をもって退職していただくことになったんです。退職金も納得いただく額をお支払いしますし、解雇ではありません」
とのこと。俳優・高倉健亡き後、個人事務所が清算されるのは当然の成り行きかもしれないが、従業員からしてみれば、これまで尽くし、支えてきた思いもあり、その内容をすんなりとは受け入れることができなかったようだ。
Tさんは従業員だけではなく、大切な健さんの遺品の始末もどんどん進め始める。
「Tさんは事務所に残っていた“金目のモノ”を全て持ち出し、健さんの仕事関係の資料などを処分するように指示したそうです。事務所スタッフや仕事関係者たちは、健さんの作品はもちろん、未公開写真などを、いずれは記念館を建てて大事に保存しようと考えていたため、Tさんの言葉には不信感を抱いたみたいですね」(前出・芸能関係者)
スタッフたちの彼女に対する疑念は、健さんの生前からあったという。
「Tさんは養子縁組が成立した2013年の夏頃からさまざまなことに関与するようになり、健さんの仕事場にも姿を見せるようになったと聞いています。昨年8月の最後のCM撮影の際には、健さんの体調があまりにも悪そうだったために、スタッフからは“早く病院に連れて行ったほうがいい”という声があがったようなんですが、健さん個人の健康についてはすべてTさんが管理していたので、強く進言することもできず…」(前出・芸能関係者)
10月に健さんが入院してからは、見舞客もTさんが管理し、スタッフもあまり会うことができなかったという。
※女性セブン2015年1月22日号