【著者に訊け】池澤夏樹氏/『池澤夏樹=個人編集日本文学全集01 古事記』河出書房新社/2160円
世界文学全集に続いて、日本文学全集をたった1人で編むという大仕事に挑んだ。第1巻が、みずから現代語訳を手がける『古事記』である。
「同じ出版社(河出書房新社)が昔、ぼくの父の世代の作家が現代語訳した古典の全集を出しているので、新しい全集に入れる古典の部分はそれを収録すればいいと思っていたんですが、編集部が意欲的で、『現代作家に新訳を頼みましょう』と言い出しまして。『池澤さんは何を訳します?』『え、ぼくもやるの?』という流れに(笑い)」
そうして選んだのが、天地の始まりから国のかたちができるまでを描く「最初の日本文学」だ。1300年前に書かれた単純明快でスピードのある日本語の文章に惹かれたという。ちなみに池澤さんの父、作家の福永武彦氏も『古事記』を現代語訳しているが、父の訳とは肌合いの違う、原文の個性を生かした歯切れのよい日本語に移し替えた。
「わからない言葉を丁寧に説明していると、物語本来のスピードが損なわれてしまう。神様や人の名前、地名などは、本文の下に脚注のかたちで説明しました」
この注が面白い。オオクニヌシを〈古事記のスターの一人〉、天から降りたホノニニギが若い娘に「お前は誰の娘か」と問えば、〈美女に会えばこう訊ねるものだった〉などなど、古代の作者と現代の読者のあいだに池澤さんがいて、「これには実はこういう意味があってね」と説明してくれるようなのだ。
今私たちが使っている日本語で語られる古代の神と人の物語はぐっと身近なものに感じられる。1人ひとりの喜び、悲しみ、怒り。集まっては酒を飲み、感情のほとばしりをミュージカルみたいに歌で表す。
「思いは我々と変わらないけど、より直情径行ですね。さっさと決めて動く。殺すし、寝るし、奪うし、与える。白と黒の木版画のようなはっきりした線で描かれ、ぼかしの部分がない。人から人へ語り伝えられるうちに話が面白く、わかりやすいほうに整理されていった面ももちろんあると思いますけど」
母の再婚相手が父を殺した男と知った7才の目弱王(マヨワノミコト)が義父を殺す話はハムレットを連想させるが、幼い王子にためらいや後悔はない。
「みなさんがふだん読んでいる本とはだいぶ勝手が違うから、最初は少しとまどうかもしれません。そのとまどいをほどいていくところから面白さは始まります」
「今の人に古典への関心があるかな?」と、引き受けてもらえるか初めは心配したそうだが、人気作家が競って現代語訳に取り組む。川上未映子訳『たけくらべ』、角田光代訳『源氏物語』など、この後も楽しみだ。
【著者プロフィール】池澤夏樹(いけざわ・なつき):1945年生まれ。1988年『スティル・ライフ』で芥川賞、1993年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞など受賞多数。北海道在住。多くの人気作家が古典の現代語訳を引き受けたが、「ぼくはいかなる意味でも脅迫、恐喝はしていません(笑い)。皆さんには七転八倒してください、と伝えています」。
(取材・文/佐久間文子)
※女性セブン2015年1月22日号