どんな名選手にも衰え、引退するときが来る。日本球界における勝利数ベスト3、400勝の金田正一氏、350勝の米田哲也氏、320勝の小山正明氏が、お互いへのライバル心、引退を決意したころについて語りあった。
──お互いにライバル意識はありましたか。
米田哲也(以下、米田):僕は400勝を超えてやろうと思っていましたよ。カネさんも意識していたはずです。
金田正一(以下、金田):ああ。しつこく追っかけて来よるから、早く辞めろと思っていた(笑い)。
米田:カネさんが引退した年に僕は270勝。プロ14年目で31歳でした。カネさんの400勝にはまだまだだったが、小山さんは274勝で何とか抜いてやろうと思うようになったんです。その後はお互いに勝ったり負けたりでなかなか差が詰まらなくてね。それが1973年のシーズン中、2勝ほどリードして頭一つ抜け出すと、小山さんが急に勝てなくなった。あとで聞いたら、抜かれてガクッと来たって。
小山正明(以下、小山):(笑って頷く)で、その年に320勝で引退。
米田:僕はその後も勝って350勝まで伸ばした。記録を残す人はみんなライバルがいるものです。
小山:現役終盤に勝ち星を伸ばすのがキツイ。鈴木啓示も「小山の記録を抜いて3位で終える」と豪語していたが、317勝で引退した。終盤の“あと1勝”がどんなに大変か。
金田:ワシは逆だな。最後の年、399勝で終わっていたら次の年に2桁勝てたと思うとるよ。今だからいうけど、最後の年に5勝だけと苦しんだのは春のキャンプで手首がおかしかったから。それを末次(利光)が変な気を利かせて接骨医の真似をして、ワシの手首をグイと曲げたら、鶏の手羽みたいに伸びて戻らなくなってしまった。
川上(哲治)さんにもいえなくてなァ。シーズン後半に治って400勝したら、区切りがいいと川上さんに引退のストーリーを作られてしまった。続けていたらまだ勝てたよ。3年後にロッテの監督をやった時も、若いヤツにスピードでは負けなかった。
──へーっ。
金田:へーって。ワシはすごいんだっちゅうの。
※週刊ポスト2015年1月16・23日号