「今後もリーダーとして代表を引っ張っていくし、次の4年間で世界を驚かせてみせる。そのベースはこの4年間でできたと思っている」(本田圭佑選手『通訳日記』より)。
ザッケローニ監督の通訳を務めた矢野大輔氏の『通訳日記 ザックジャパン1397日の記録』(文藝春秋)が、現在8万部を超えるベストセラーとなっている。現日本代表の“ベース”とは何だったのか。本書はザックジャパンの真実を綴ったインサイドストーリーであり、強いチーム、理想的なリーダーとは何かを教えてくれるドキュメントでもある。著者の矢野氏へのインタビュー【後編】をお届けする。
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――「大輔は、私の日本での冒険において、だたの“声”であったわけではない」とザッケローニさんは書いています。通訳をされる上で、どのようなことに気を使いましたか。
矢野:ザッケローニさんになくてぼくにあるものはだた一つで、日本人的感覚をわかっているということです。そこは僕が助けになれる部分だったので、監督から意見を求められたときは、答えていましたし、できることはやっていました。
例えばこの本にも書きましたが、選手にリラックスが必要だなと思う場面では、くだけた口調で話したり。とくにW杯中は、選手たちのプレッシャーは極限まで高まっていましたから、ポイントを絞って訳すなどの工夫もしましたね。
――日本代表の通訳に必要な知識や経験とは何でしょうか。
矢野:言葉ができることと双方の文化を深く理解していることが大前提になります。サッカーの通訳なので、競技経験があればよりよいでしょう。
さらにぼくの場合は、ビジネスの経験が大いに役立ちました。ぼくは15歳でイタリアに渡り、トリノの下部組織でプレーした後に、スポーツマネジメント会社に就職しました。デル・ピエロ選手のマネジメントやテレビの通訳もしていたから、代表のスター選手の前や、何百人の報道陣の前でも、それほど物怖じせずに話すことができたのだと思います。それから、イタリア人と日本人の共同プロジェクトなどにも携わっていたので、双方の仕事の進め方の特徴を理解できていました。
――中村憲剛選手、前田遼一選手、李忠成選手……W杯のメンバーに選ばれなかった選手たちに、矢野さんが電話をする場面が本書に出てきます。感謝の気持ちを矢野さんから伝えてほしいと、ザッケローニ監督が矢野さんに頼んだんですね。監督と矢野さんの人柄が伝わる、印象的な場面でした。
矢野:あの時は本当に難しかったし、苦しかったですね。長い間一緒に戦ってきたメンバーですから当然ながら愛着がある。でも23人を選ばなければいけないのが現実ですし、ぼくは仕事として、ザッケローニさんの想いを伝えなければいけない……。監督は本当に心遣いの人でしたから。電話をする前に、ああ言おう、こう言おうと考えましたが、いざかけると、言葉に詰まってしまったりもしましたね。
協会やチームの誰かが伝えてもいいことだったのかもしれませんが、監督がぼくを指名したのは、監督のメッセージをより濃く伝えたかったからだと思うんです。だから結果的に、ぼくがやってよかったと思っています。選手たちの反応も、それぞれの個性に溢れた、素晴らしいものでした。ぜひ読んでいただきたいです。