幼い頃から一流の味に親しみ、欲しいものは何でも手に入り、セレブ友人のコネクションでコンサートも野球も特等席から見る…。そんな絵に描いたようなきらびやかな生活を送っている人が世の中に実在する。老舗企業の御曹司・御令嬢たちだ。私たち一般庶民とは縁もゆかりもない世界は、どんなものなのだろうか。
大正14年創業のレストラン香味屋。もともとは輸入雑貨店でコーヒー豆などを販売し、徐々に洋食屋となった。芸能界や落語界にもファンが多く、三田佳子や林家三平の行きつけとしても知られている。
その4代目の女性社長が宮臺香惠(みやだい・かえ)さんだ。
「きょうだいはいないので、私が“跡取り娘”。しかし、父は言葉で何かを教えるのではなく、“自分で見て学べ”というタイプ。帝王学を直接授かった記憶はないですね」(宮臺さん・以下「」内同)
両親は教育熱心だった。娘を自宅のある東京・台東区根岸から受験に強い港区西麻布の幼稚園まで通わせ、地元の小学校に進学後は、港区三田にある塾に通わせた。
この間、御令嬢は電車をほとんど使わなかった。
「送り迎えはほぼタクシーでした。母があまり歩くのが好きではなく、徒歩2分ほどの距離でもタクシーに乗っちゃうんです。バレエやピアノを習った中目黒まで頑張って電車で行っても、帰りは疲れてしまってタクシーというパターンでした。ウチは車移動が多く、親がタクシーチケットを束で持っていた。学生時代は父が『夜遅くは危ないから帰宅時に使いなさい』と言ってチケットを束でくれていました」(宮臺さん)
靴を100足以上持っていた祖母や買物好きの母の影響で宮臺さんもファッションが大好きだ。
「洋服は母におねだりすると新宿の伊勢丹などで買ってもらえました。ジュンコシマダやダナ・キャランが好み。高校生の時のお小遣いは月3万円でしたが、すぐに使い果たしてしまうんです」(宮臺さん)
御令嬢は受け取るプレゼントも規格外だ。慶應大学在学中に運転免許を取ると即、新車でBMWを買ってくれた。
「しばらくBMWに乗っていたけど、24才のとき母が突然、他の外車を見て『この車の助手席に乗りたいから買い替えなさい』と言って、そのままディーラーに行って注文したのには、驚きました(笑い)」(宮臺さん)
大卒後は日本輸出入銀行(現・国際協力銀行)に入行。
「正直、人脈にも恵まれていたと思います。慶應の同級生に後楽園スタヂアム(現・東京ドーム)のお嬢様がいらして、ドーム開催のコンサートは優先的にチケットを取ってくださいました。マドンナやマイケル・ジャクソンを最前列で見させていただきました。プロ野球も貴賓室から観戦させていただく機会もございました」(宮臺さん)
数々の御令嬢エピソードを誇る宮臺さんだが就職後は仕事で大変な目にあったという。
「ある日父から『人手が足りないから土、日はお店を手伝ってくれ』と言われたんです。平日は銀行で働いて、そのうえさらに土日も働くなんてとんでもないと思いました。最初は抵抗していましたが、番頭からも『お願いします』と頭を下げられて…」(宮臺さん)
1年半で銀行を辞めて本格的に店を手伝うようになり、1996年に最愛の母を亡くし、10年後に父が倒れたことをきっかけに失意の底から脱して店を継ぐ決意を固めた。
※女性セブン2015年1月22日号