イラクやシリアで活動する「イスラム国」の問題が世界的な脅威となっている。なぜ彼らのような集団が力を持ち、勢力を拡大しているのだろうか? 思想家・武道家の内田樹氏が解説する。
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ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など唯一絶対の神を信仰する宗教で信仰者は超越的な神と1対1で向き合う。ラビや神父や律法学者はいるが、彼らの媒介なしでは神と信仰者が向き合えないということはない。まして世俗の権力や親族のしがらみや地域社会の利害など一神教にとっては副次的なものにすぎない。
だから、国家権力は一神教に対して、その本質的な反世俗性・反権力性をたわめようと歴史的な努力を続けてきた。それなりに成功を収めた方法は二つあり、一つは一神教を「国教」にすることで無害化するという仕掛け、もう一つは政教分離である。
政教分離というのは宗教を「私事」の領域に閉じ込めて、公共の場からすべての宗教性を払拭することである。近代国家は政教分離によって一神教の持つ反国家性を制御してきた。
いま中東で起きていることは、こう言ってよければ、「一神教が近代的な国家権力の制御を離れて、潜在的な力を発揮し始めた」というふうに形容できるだろう。この地域で特に国家の制御が効かなくなったのは、シリアやイラクやレバノンやヨルダンといった「国」を分かつ国境線が1916年のサイクス=ピコ協定(英仏露によるオスマントルコ分割案)に基づいて政略的に引かれた政治的擬制に過ぎなかったからである。
ただでさえ国民国家としての求心力が弱く、「国」である必然性の希薄な国家であるから、一神教の力を効果的に制御できるだけの力はない。それに経済のグローバル化が拍車をかけた。国境を越えて、人間、資本、商品、情報が高速で行き交う経済システムは領域国家の土台を掘り崩した。
シリアやイラクで勢力を拡大しているイスラム国の存在は、一神教と国家の歴史的な「相性の悪さ」が領域国家の弱体化によって、オスマントルコ帝国解体から100年経ち露呈したということだ。
※SAPIO2015年2月号