東海道新幹線に乗るたびに疑問に思うことがある。狙ったように間が悪いタイミングで訪れる車内改札だ。海外の列車でも検札が行なわれることはあるが、その場合は駅での改札がない。一方、駅に改札がある場合、検札がないのが当たり前。事実、日本でも東北新幹線や成田エクスプレスでは検札はない。
それなのに、東海道新幹線だけは、かたくなに車内改札を続けている。しかも、二重で改札をしているくせに、切符をなくした場合は再購入を求められる。本当に意味がわからない。
不可解な東海道新幹線の車内改札。それには雇用の確保といった彼らなりの理由があるのだろう。しかしJR東海に限らず、内輪の論理で物事を進めようとするあまり、世間とのズレが発生し、外部の人間が不便を被る出来事が日本では相次いでいる。
2014年に『だから日本はズレている』(新潮新書)という本を出版したのだが、僕はその中で「おじさん」という言葉を使った。ここでいう「おじさん」とは、ただの中年男性という意味ではない。僕が「おじさん」と名指すのは、いくつかの幸運が重なり、既得権益に仲間入りすることができ、その恩恵を疑うことなく毎日を過ごしている人々のことである。
「おじさん」とはどうやら思い込んでしまうものらしい。東京オリンピックを開催さえすれば日本経済は復活する。リニアモーターカーが開通さえすれば、東京と名古屋、そして大阪の経済圏は一体となり、その経済効果は計り知れない。そんな思い込みとも願望ともつかない言葉が、この国では溢れている。
少し調べればわかるが、事態はそんな単純ではない。過去にオリンピックを開催した都市や国では、確かに瞬間的にお祭り騒ぎが起こるものの、経済効果は期待したほどではなかったことがわかっている。また、かつてのニュータウンがそうであったように、移動にかかる時間がいくら短くなったところで経済圏はそう簡単に一体とならない。
●文/古市憲寿(社会学者)
※SAPIO2015円2月号