政界の中枢を担ってきた自民党総裁たちの激動を「通史」として証言できる人間は少ない。当の政治家は任期中の政情しか語ることを許されず、その挙動を逐一報じる番記者も人事異動を避けられない。
そういった意味で総裁の動静を「内側」から撮り続けた自民党写真室初代室長・岡崎勝久氏(70)ほど、その任にふさわしい男はいない。田中角栄総裁の要望により自民党に写真室が設けられて41年。岡﨑氏が目撃した宰相たちの素顔を、ノンフィクションライターの常井健一氏が語る。(文中敬称略)
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冗談のような話だが、岡崎は撮影中に総裁の「死相」を見た経験があるという。1999年3月、自民党は東京都知事選で元国連事務次長の明石康の推薦を決めた。4日午後、赤坂プリンスホテルで開かれた決起集会に小渕恵三は駆けつけた。
壇上で挨拶を始め、しばらくすると突然、話しが止まった。ポカンと口を開ける小渕を、幹事長の森は不思議がって壇上から覗きこんだ。そこに、明石が現れ、何もなかったように会場に拍手が湧く。小渕は我に返り、その場を明石に譲って舞台を降りた。その直後の表情を岡崎のカメラは捉えた。小渕は官邸に戻り、夜9時まで分刻みのスケジュールをこなしたが、岡崎は察知した。
「あ、これは脳の病気だと直感的に思いました。脳梗塞で亡くなる直前に、報道陣の前で呂律が回らない様子の映像が流れましたよね。その時と全く同じようにどこか言葉が飛んでしまったような感じでした」
その一年後の2000年5月、小渕は在任中に急逝した。あの「前兆」を見た後、勇気を持って小渕に検診を勧めるべきだったのではないか──。岡崎は今もそう悔やんでいる。
※SAPIO2015年2月号