イスラム国が拘束しているジャーナリスト・後藤健二氏と民間軍事会社代表・湯川遥菜氏の殺害予告を行ない、2億ドルの身代金支払いを要求している問題で、安倍晋三首相は「テロには屈しない」と強調している。しかし「テロに屈しない」と拳を振り上げながら、首相は国民には「自己責任」を求めるという都合のいい論理を使い分けてきた。
イラク戦争後の2004年、イラクの武装勢力に邦人3人が拘束された。3人はイスラム聖職者協会を通じた交渉で解放されたが、救出費用は事実上の身代金を含めて約20億円かかったと噂された。
これを問題視した与党自民党からは、外務省の退避勧告を無視して危険なイラク入りして拘束されたのは3人の自己責任であり、政府に救出する義務はあるのかという批判が上がり、当時、自民党幹事長だった安倍氏は、「山の遭難では救助費用は遭難者、家族に請求することもある」と述べていた。
では、安倍氏が目指す自衛隊の海外活動や憲法改正は何のためなのだろう。政治も軍隊も、国民の生命・財産や国土を守るためにあるのではないのか。それを守るのは「自己責任」で、政府のいうことを聞く者だけは助けてやってもいい、というのが安倍氏の“平和主義”なら、そんなものに賛同する日本人など、一部の夢想的ウヨクだけだろう。
案の定、安倍政権は言い訳と逃げ腰ばかりが目立つ。政府は邦人救出に動かなかった自らの責任を棚上げし、「危険な所への渡航を禁止、自粛、そうしたことを今まで徹底してきているところだ」(菅義偉・官房長官)と2人が危険地域で拘束されたのはあくまで自己責任だと転嫁しようとしている。
※週刊ポスト2015年2月6日号