ロサンゼルス、ソウルと2大会連続五輪金メダリストの柔道・斉藤仁氏が1月20日、がん性胸膜炎のため急逝した。享年54。全日本柔道連盟の北田典子理事は早すぎた死を悼む。
「オンとオフのメリハリがしっかりしていた人でした。稽古では厳しいが、みんながその人柄を慕っていました。座右の銘は『剛毅木訥(ごうきぼくとつ)仁に近し』。まさにそのものの柔道家でした」
国士舘大時代から常に3歳上の天才・山下泰裕と比較されてきた。その山下との対戦は8戦8敗。203連勝のまま引退した国民栄誉賞の山下に比べ、斉藤の存在はどうしても“二番手”のイメージで地味に映る。
実際は山下に全く引けをとらない柔道の申し子で、テレビドラマの『柔道一直線』を見て柔道を始め、『ミュンヘンへの道』で五輪に目覚めたという、まさに柔道漫画のような人生だった。
関係者によると、一昨年の末頃に肝内胆管がんが発覚。切除不能の診断だったという。治療中に糖尿病や胃炎を患い、昨年末には病状が悪化。最後は手の施しようがなかった。
肝臓の病気はもちろん飲酒の影響が大きい。ある講道館関係者がその一端を明かした。
「若い頃から重量級のチャンピオンだけを目指していた斉藤は、体を大きくしたい一心で暴飲暴食して昼寝を繰り返していた。そもそも酒好きなこと、そして人付き合いが非常に良いことから、現役時代も酒席の誘いは決して断わらず、それが体を壊す結果になったのだと思う。山下、斉藤、井上康生の3人が全柔連の将来を背負うと期待されたが、斉藤だけは健康問題が不安視されていた」
一時は昼間から酒席に出ることもあったという。それが身を滅ぼすと警告した人もいたが、付き合いのいい男は、相手の顔を潰すまいとした。
残された長男の一郎君は16歳、次男・立(たつる)君は12歳。とりわけ立君は昨年2月の近畿小学生大会の無差別級で圧倒的な強さを見せて優勝。身長166センチ、体重100キロと、将来の有望株だ。
「斉藤さんは息子たちに夢を託そうと、5年前に関西に居を移し、自宅の畳も柔道用にした。病室でも息子たちに打ち込みの稽古をつけ、最後の言葉も“稽古に行け”だったそうです」(全柔連関係者)
不器用だが優しい、最期まで柔道に生きた男が逝った。合掌。
※週刊ポスト2015年2月6日号