ドイツの建築家、ブルーノ・タウトが京都の桂離宮を訪れた際の第一声が「泣きたくなるほど美しい」だったことは有名だが、かように“和の神髄”について、外国人の目を通して教えられることは少なくない。
関西大学国際部准教授でニュージーランド人のアレキサンダー・ベネット氏は、日本で剣道に出会い「無限」を知ったと語る。
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剣道、柔道など武道は、スポーツとしての側面ばかりに目がいきがちです。私は、武道はスポーツだとも思っていますが、技術の向上や試合の勝ち負けの話にとどまるものだとは思っていません。教育手段という面もあるし、武道は生涯かけて極めていく“道”なんです。
試合は目的ではなく、確認の場です。勝っても負けても反省することは山ほどある。同時に相手に感謝もする。勝敗は時の運もあり、結果が全てではない。勝っておごらず、負けて悔やまず。それは精神文化である武士道に通じます。
真剣勝負を由来とする剣道は、勝ち負けは生死を意味する。勝った時は、相手の命を奪ったとき。だからそんなに喜ぶべきものではない。
武士道の解釈は様々ですが、忠義礼節という倫理的側面を取り沙汰される事が多い。いわく、武士道こそ日本人の精神だと。正直、私に日本人としてのアイデンティティは関係ありません。
それよりも、武士道は普遍的な人間の知恵であると思います。国籍関係なく、もっとベーシックなものだと。世の中には“武士道論”が記された書物があふれていますが、武士道とは侍の道。身を捨てて生きるか死ぬかから生まれるのが武士道です。実践から体得したものでなければ、はっきり言って空論です。
私は、武士道を理解する上で剣道ほど適したものはないと思っています。
剣道は武士文化の流れを汲んでいる。たとえば私が大事にしている言葉に「残心」があります。これは、攻撃のあとや勝ったあとでも気を抜かず、相手の反撃に警戒し、油断しないこと。真剣勝負だからこその心の持ちようがまだ生きているのです。
ひいては周囲への心配りや、起きたことの原因を他者に求めない心構えにつながります。忠義にとどまらず、感情をコントロールし己を律する鍛錬こそ、武士道の本質なのではないでしょうか。
武士道は日本の伝統文化などではなく、むしろ日本にとどまらない世界遺産なのです。
●取材・構成/大木信景(HEW)
※SAPIO2015年2月号