かつて9年連続日本一を続けていた読売巨人軍に対し、ライバルとして立ちはだかったのは阪神タイガースだった。当時の阪神で主力として活躍した、俊足巧打と守備範囲の広い華麗なプレーで“牛若丸”と呼ばれた吉田義男氏が、村山実や江夏豊ら歴史に残る名投手陣を揃えながら万年2位に甘んじていた理由を語った。
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選手個々が優れていたこともあるが、僕がその頃の巨人に感心したのは、ボール球に手を出さないことでした。その伝統を作ったのは川上(哲治)さんだと思います。「振らない」ということを、「打撃の神様」が徹底して教育したんです。
皆、選球眼が良くて四球を選ぶ。だから打線が繋がる。巨人の3番、4番には王貞治、長嶋茂雄が座っているわけで、柴田(勲)や土井(正三)が塁に出れば打線の破壊力はより大きくなる。僕の印象だと、巨人は1番から4番までの4人で勝っていたようなものです。その4人に1試合に4度回ってくる。強いはずですわ。
もう1つ厄介なのが審判でした。審判も人の子だから、迷った時には「王や長嶋が見逃したのならボールだ」と、上手い人に有利な判定をしてしまう。世にいう「王ボール」とか「長嶋ボール」というヤツです。
当時の阪神には球界を代表する小山正明や村山といったピッチャーがいたし、その後には江夏豊も出てきたが、彼らは揃って「ワシらは10人を相手に野球をやらなアカン」といっていました。まァ、勝負の世界ではこれも実力のうちですから仕方ありません。
※週刊ポスト2015年2月13日号