イスラム国による日本人人質事件は、政府が交渉を行なうも、結局解放には至らなかった。かつて、異国で人質となった日本人を、政府に代わり“民間”有志が救出したケースをご存知だろうか。
1985年1月、フィリピンのホロ島で、イスラム系反政府ゲリラ「モロ民族解放戦線」(MNLF)に日本人カメラマン、石川重弘氏が拘束される事件が起きた。
MNLFは身代金約7000万円と重火器を要求。日本政府に為す術はなく、事実上、放置した。当時の外相は、安倍首相の父、安倍晋太郎氏である。
数か月後、様々なルートを通じ、この話がある元山口組系組長に持ち込まれた。
その組長から「民間で助け出すことはできないか」ともちかけられた民族派の野村秋介氏は、マルクス主義者の人権派弁護士、遠藤誠氏に協力を要請。さらに日本船舶振興会の笹川良一会長らも協力し、立場や思想を超えた民間人チームによる邦人救出プロジェクトが始まった。
日本の暴力団は、フィリピンの裏社会とも通じる。MNLFと接触して、交渉を積み重ねた。野村氏はゲリラに、「民族解放という立派な思想を掲げる組織なら、金、金、言うな!」と一喝したという。
最終的に現金と武器ではなく、3000万円分の医療物資支援という条件で折り合いをつけ、石川氏は1年2か月ぶりに解放された。こうして、政府が見捨てた日本人を、民間が見事、救出したのである。
※SAPIO2015年3月号