日本政府による初めての無償資金協力で設立された中国・北京の「中日友好医院(中日友好病院)」が公式短文投稿サイト「微博(ウェイボ)」で、「今後は特別な場合を除いて、略称の『中日医院』を病院名として使用する」と発表した。病院名から「友好」の文字を削除した理由をめぐり、インターネット上でさまざまな論議を呼んでいる。
最近の両国関係の悪化から、書き込みは「『友好』の文字はふさわしくない」とか、「いつまでも日本の援助で建てられたと恩着せがましくされるのは、中国人としてのプライドが許さない」というものがほとんどで、習近平指導部の対日姿勢が根っこにありそうだ。
同病院は病院名を略称に変えた理由について、「上部機関である国家衛生計画出産委員会の指示に基づく」と説明したうえで、「国家関係とは関係がない」とわざわざ両国関係に言及。一部メディアに対して、「業務上の必要性によるもので、正式名称を変えたわけではない」と強調しているが、なぜ、いま「中日友好医院」から「友好」の文字を削除したのかは明確な説明はない。
今後は同病院も正式な書類のレターヘッドには、これまでの「中日友好医院」が「中日医院」に変わることになる。
これについて、ネット上では「両国関係はもはや友好的ではなくなったことを示している」とか「政府の対日外交政策に沿った配慮だろう」とか、あるいは「人間で例えれば、いわば『結婚証』を破棄して、離婚することを表している」、「『縁を切る』という行為だ」などと両国間の関係悪化が最大の原因との見方をするものが多い。
同病院のホームページ(日本語)では、「中日友好病院は日本政府の無償資金援助によって、両国政府が共同に建てられた大規模総合現代化病院である。1984年10月23日開院……(中略)……建築面積は18万平方m、ベッド数は1500。68の臨床、メディカル部門が設置され、中日友好臨床医学研究所と人材育成センターが設置されている」と説明されており、中国でも高い医療技術を誇る有数の病院だ。
歴史も古く1979年9月、当時の大平正芳首相と谷牧・中国副首相が無償援助協定を締結して以来、初めて適用されたプロジェクト。1984年4月の開院では当時の最高指導者、胡耀邦・中国共産党総書記が病院名を揮毫(きごう)したほどで、両国の友好関係の象徴的な存在だったが、それも単なる微博(ウェイボー)の短文による通知で、名称が変更されてしまうところに、日中関係の変化が如実に表れているといえそうだ。