昭和30年代後半から、ヤクザを主役とし美化した任侠映画が乱造され、結果として若者たちにとって暴力団という職業が稼げて、かっこいいヒーローと認識された側面があった。昭和38年には暴力団員総数は現在の約3倍、18万4100人にまで膨れ上がり、警察もこのヤクザ礼賛の空気を放っておくわけにはいかなかった。実際に、どのような対策を警察が取ったのかについて、フリーライターの鈴木智彦氏がリポートする。
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警察がエンターテインメントであるヤクザ映画に露骨な妨害工作をしてきたのは、昭和48年の夏に公開された『山口組三代目』という作品である。日本最大のヤクザ組織である山口組田岡一雄組長の一代記で、主役は高倉健だ。
東映は暴力団筋のトラブル防止策として、この映画のプロデューサーに田岡一雄組長の実子である田岡満氏(故人)を据えていた。公開後、ヤクザではなかった満氏が22件の容疑で逮捕されたのは、大ヒットとなった『山口組三代目』の次回作を取りやめさせるためだった。
「収入印紙の貼り間違いを『収入印紙法違反』とか滑稽なほどむちゃくちゃな容疑ばかりでした。たった1件だけ罰金3万円という処分になったんですが、20年来の友人に会社の役員になってもらい、それを忘れていたというだけ。親父は最初から『まず東映から攻められる。黙っとるのがおかしいわい。1作目なんてようできたやないか』と言うてた」(田岡満氏談)
田岡組長の予想通り、東映は嫌がらせの取り締まりに耐えられず、あっけなくギブ・アップした。
※SAPIO2015年3月号