歌舞伎役者・坂東三津五郎さんが2月21日、すい臓がんのため都内の病院で亡くなった。59才だった。
中村勘三郎さん(享年57)、市川團十郎さん(享年66)という歌舞伎界の巨星が、次々とこの世を去った直後の2013年2月、女性セブンは三津五郎さんが長女・守田菜生(30才)と都内のビストロで食事をする姿を目撃していた。
「娘さんは勘三郎さんたちが亡くなったばかりだったからか、三津五郎さんのことを心配していて“勘三郎さんも團十郎さんも肺…。お父さんも気をつけなきゃダメよ!”なんて話していましたが、その時は三津五郎さんは“うん、うん”とうなずきながらもたばこをスパスパ吸っていました…」(居合わせた客)
当時、他人事だと思っていた病魔が三津五郎さんを襲ったのは、それからほどなくしてからだった。
2013年7月、健康診断ですい臓がんが見つかる。だが、命が危ぶまれる可能性が高い病気にもかかわらず、三津五郎さんは、すぐに休むことはなかった。なぜなら、翌8月に勘三郎さんと“約束”した公演が迫っていたからだった。
夏の風物詩『八月納涼歌舞伎』。これはなかなかチャンスをもらえなかった若かりしころの三津五郎さんと勘三郎さんが始めた公演だが、歌舞伎座改装のため、2009年を最後にお休みしていた。そのため、この年の『納涼歌舞伎』は4年ぶりの復活公演だった。
「生前、勘三郎さんは『納涼歌舞伎』で三津五郎さんと再共演するのを楽しみにしていました。ですから三津五郎さんは“勘三郎さんの分も頑張らなきゃ”と気合を入れていたんです。公演中は食事も喉を通らないほど、つらそうでしたが、勘三郎さんの無念を晴らすため、鬼気迫る思いで三津五郎さんは命を削りながらも舞台に立ち続けていました。でも“あのとき無理をしなければ”と思うと残念でなりません…」(歌舞伎関係者)
同公演が閉幕すると、休養を発表、同年9月には約4時間に及ぶすい臓がんの摘出手術を受けた。翌10月の退院会見では、
「そんな深刻になっているつもりはないが、まだ自分は先輩から教えていただいたものを預かったまま。それを次の世代に渡さないといけない。それが責務だと思っています」
と悲壮な決意を語っていた。
「退院してからは大好きだったお酒やたばこも断って、毎朝、ラジオ体操に励むなど、本当に体に気を使った生活を送っていました。家族全員で禁酒したり、2人のお嬢さんたちが三津五郎さんの免疫力を上げる食事などを勉強したりと献身的にサポートしていたみたいですよ」(坂東家知人)
しかし昨年9月の定期検診で肺への転移が見つかってしまい、12月に予定されていた一人舞台を降板、翌10月の国立劇場での舞踊会を最後に療養生活に入った。
※女性セブン2015年3月12日号