【書評】『他界』金子兜太著/講談社/1300円+税
【評者】嵐山光三郎(作家)
金子兜太氏は九十二歳でがんの手術をして、ますます野生化し、生涯現役、決して枯れず、疾風怒濤の狼となって他界を観察する。かくして死とは、いのちがこの世からもうひとつの世界へ引っ越すことだという確信を持った。
東大経済学部を卒業し、日銀に入行するが海軍主計中尉としてトラック島勤務を命じられ、幾多の殺戮死を見てきた。米軍の機銃掃射を受けて虫けらのように殺され、食料がなく餓死する同胞の兵士を目のあたりにしてきた。
奇跡的に生き残り、帰国後日銀に戻るが、日銀の冷え冷えとした体質になじめず従業員組合運動に首をつっこみ、出世せず、福島、神戸、長崎へ転勤し、ヒラと同じ状態で定年を迎えた。御立派。これぞ反骨の俳人である。
二〇〇六年、妻の皆子さんが八十一歳で亡くなり、先輩や友人がつぎつぎと逝き、亡くなった人を悼む「立禅」をはじめた。他界した人は元気であの世でやっている。肉体は滅びても、人間のいのちは死なない。魂は残る。
無神論者だから特定の神仏は信仰していないが、郷里の椋神社を祭った神棚の前で、死んだ人の名前を小声で称えるようになった。立ったままで、記憶に深く残る人の名前を称える。いまのところ全部で百二十人ぐらい。
目をつぶって名前を称えていくと、不思議なことに、体や頭がすーっとしてくる。先生あり、大先輩あり、呼びすてあり、苗字やあだ名だけのような人もいる。両親や女房の名は一番最後になり、ちょっと別仕立。毎朝やって、順調にいくと三十分。名前が出てこないときは四十分かかる。
記憶力が活性化され、つづけていくうちに、他界がリアルに感じられる。毎朝、亡くなった人たちと交流会をやって会話をする。がんの手術で入院したときは、ベッドの横に立ってやった。
金子兜太氏にあっては、俳句即生命である。他界はすぐ近くの故郷のなかにある。野生の自由人が定住漂泊しつつ実施する「立禅」という秘儀の極意を見よ。
※週刊ポスト2015年3月6日号