元広島カープの安仁屋宗八(あにや・そうはち)氏は沖縄高(現・沖縄尚学高)のエースとして甲子園で活躍、卒業後は沖縄県人として初めて都市対抗に出場し、1964年に広島に入団して沖縄出身初のプロ野球選手となった。そしてプロ初勝利を1964年6月14日の巨人戦であげている。その試合は沖縄のテレビで生中継され、巨人から初白星を挙げた「島人(しまんちゅ)の星」の話題で沖縄は数日間持ちきりになった。安仁屋氏が、当時の沖縄への思いを振り返った。
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沖縄ではテレビ中継の間、電器屋の街頭テレビの前に皆が集まって観戦していたそうです。その間、沖縄にタクシーが1台も走っていなかったとか。その後も巨人戦で僕が投げる時には、同じような状態がしばらく続いたと聞いています。
オフに沖縄の実家に帰った時に、親父がスクラップブックを見せてくれて、凄いことになっていたことを知りました。
それが発奮材料になりました。そうやって勝ち星を重ねていき、「巨人キラー」としてのイメージが定着したのだと思います。
そういえば1973年に広島に入団してきた埼玉出身の木下富雄が、「(巨人ファンの僕は)巨人戦で頑張る安仁屋さんが大嫌いだった」と言っていました(笑い)。
※週刊ポスト2015年3月6日号