「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日──。1987年に第1歌集『サラダ記念日』を上梓してから約30年経つ、歌人の俵万智さん(52才)。今11才の息子を持つ母だ。そしてその“息子の名言”をたびたび紹介する彼女のツイッターが大きな話題を呼んでいる。11才とは思えない言葉が次から次へと紡ぎ出される背景には、石垣島の豊かな自然と、息子とふたりで楽しむ言葉遊びがあった──。
俵さん親子は、2011年3月の東日本大震災を機に、宮城・仙台から沖縄・石垣島へ移住。愛息・たくみん(愛称)が通う学校は小学生と中学生を合わせても20人に満たない。島の大人たちは近くに住む子供を下の名前で呼んでかわいがる。島人たちは、俵さんとたくみんを温かく迎え入れた。
俵さんは、2003年にたくみんを出産。シングルマザーとして子育てをしている。そうした家庭環境にも島の風土はぴったりと寄り添ってくれた。
「みなさん垣根なくどこの家の子も一緒に面倒を見てくれます。私が東京で仕事がある時には息子を預かってくれるんです。近所のおじぃが釣りやカヌーなど他の子供たちと息子を遊びに連れて行ってくれたりもします。息子は母子家庭でひとりっ子なので家族交流を地域で補ってもらっている部分は多い。そういう意味でも移住して本当によかったです」(俵さん、以下同)
2才の頃、たくみんは「あれ、ウチにはお父さんはいないの?」と尋ねたことがある。
「他の家族を見て、感じたようです。そのときは、“いないことを数えるよりもいることを数えた方が前向き”だと思い、『お父さんはいないけど、たくみんにはおじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、おじおじちゃん(叔父の愛称)がいて、いっぱいいるね』って。それで『あぁ、いっぱいいる!』と納得していました。
今は島に“お父さん”がたくさんいるのでそういう質問はしてきません。そのうちまた疑問に思う時がくるだろうからそのときはしっかり向き合いたい。彼にも知りたいことを知る権利はあると思うので。説明の内容は息子次第。それまでに信頼し合える親子関係ができていたら大丈夫だと思っています」
移住して早4年。今やすっかり“島人”となった俵さん親子だが、息子の将来をどう考えているのだろうか。
「彼が東京の学校へ行きたいといえば行かせるでしょうし、島で漁師になるなら、それもまた彼の人生です。私に似ず算数が好きで今は研究者になりたいみたい。学校の職業教育でユーグレナ(ミドリムシ)の研究所へ出かけ、『研究所の人たちは全員、大学院を出ていた。やっぱり勉強しないといけないかな』って、やる気になっています。ゆくゆくは子離れ、親離れの時がくるでしょうが離れるのは寂しいから、くっついていっちゃうかなぁ(笑い)」
取材時、思いがけずたくみんに会うことができた。夜に大好物のアーサ(あおさ)の天ぷらパーティーがご近所で開かれるときいて、大はしゃぎ。口が達者で「同級生に“無敵のへりくつマシーン”と名づけられていました」と俵さんは苦笑するが、とても素直で元気な男の子だ。
息子のランドセルに愛おしそうに手をかけ、「親子で言葉遊びでじゃれ合える時期は今しかないかもしれない。思い切り楽しんでいます」と、やさしく微笑んだ俵さん。
「子供の気づきを無視しない」、「発見を一緒に面白がる」──俵さんの島での生活からは、「子供と一緒の時間を大切に、真剣に向き合う」、そんな子育て術が浮かんできた。
※女性セブン2015年3月12日号