【書評】『八幡炎炎記』村田喜代子著/平凡社/1600円+税
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト】
北九州・八幡は鉄の町である。日本製鐵八幡製鐵所は終戦のあとしばらく、軍国主義を支えた元凶として高炉の火が消されていた。それが新生八幡製鐵として復活し、溶鉱炉に火がもどった。『八幡炎炎記』は、そんな八幡の町の少女ヒナ子を軸にして語られていく。
物語には前史があって、昭和十八年の広島。紳士服仕立て職人が親方の女房と、手に手をとって九州へ駆け落ちした。そのことがなければ、八幡の少女もいなかった。二年後の八月、広島に落ちた原子爆弾によって、恋仲の二人は親方と同様、焦熱地獄でまっ黒に炭化していたはずだからだ。
「八幡の町は工場のある洞海湾に向けて擂り鉢状に土地が下っていくので、遠い高炉や製鋼工場の炎の照り返しが人間の欲情のように映るのだった」
エネルギーが石油にとって代わられる前のこと。戸畑、若松、そして八幡。石炭と鉄を背景に、朝鮮戦争の特需景気で、北九州一帯には、地鳴りのようなどよめきが聞こえたのではあるまいか。
仕立て職人はナマ首のような指先をもっている。採寸の名で女性の突起や凹みに指を運ぶことができる。ふだんはミシンにかかりきりの男が、製鉄所の高炉のような火を吹くお化けになる。女房にけどられれば口を閉ざし鉄棒になるばかり。ヒナ子のまわりの人間世界にも焦熱がみまって、怨みの灰が巻くように降りかかる。
「ヒナ子の夏休みのハイライトは、何といっても盆の三カ日である」
町をあげての祭礼で新仏に踊りを供える。女も男も美しく化粧して変身し夏の夜を踊り明かす。ヒナ子の家には亡者が多いのだ。夏が過ぎて秋風が吹き始めると、一つの歌の町になる。朝に夕に「八幡市歌」を歌わされる。ヒナ子には謎の歌だった―。
ゆっくり季節がめぐっていく。最終ページに小さく「第一部了」とある。はたして何部作になるのか、まだわからない。村田喜代子が自分を素材にして、現代史を縫いとった大いなる小説にとりかかったことはよくわかる。
※週刊ポスト2015年3月13日号