離婚して新たな人生を歩み始めてから10年が経った森昌子(56才)が、今だから話せることを語る──。
1972年、13才の若さでデビューした。『せんせい』、『哀しみ本線日本海』、『越冬つばめ』など、歌謡曲全盛期に数々のヒット曲を世に送り出してきた。1986 年、先輩歌手との結婚を機に引退。夫のコンサートに特別出演することもあったが、約20年にわたって表舞台に登場することなく主婦として夫や子供を支えた。その後、夫婦で行っていたジョイントコンサートと家庭の両立が難しくなり、2005 年に離婚した。
そんな人生の苦難に直面したとき、森の心の支えになったのは3人の息子たちだった。長男(26才)はロックバンドのボーカルとして活躍。次男(25才)は民間企業に勤務しており、三男(21才)もロックバンドのボーカルとして活動、昨年成人式を迎えた。
森が離婚したとき、長男は高校生。事情を説明すると、思いがけない言葉が返ってきた。
「今までに見たこともないような真面目な顔をして、『母さんが好きなように生きたらいいよ。もうちょっと大きくなったら、必ずぼくが支えるから』と長男は言いました。泣かせますよね、生意気なこと言って」(森、以下同)
離婚後の2006 年、歌手としての再出発を図った森。3人の息子と実の両親、5人の家族を養っていかなければならないという経済的事情もあった。だが、長年のブランクを経てかつてのように歌えるか不安で、当初は復帰に二の足を踏んでいた。そんな森の背中を押したのは、やはり息子たちだった。
「ある日、3人それぞれから『母さんの歌が聴きたい』と言われました。悩んでいた私を見て、励まそうと思ったのでしょう。買い物で留守にしている間にみんなでそう言おうと長男が仕組んだのだと思います」
家庭に入っていたときは、子供たちの前では一度も歌わなかった。父親が歌手というだけでも一般家庭とは違うのだから、せめて母親は普通でいようとした。若い頃の自分が歌っている姿がテレビで放送されると、慌てて飛んで行ってスイッチを消した。
「それでも長男が小学校の高学年になると、友人たちを通じて自分の母親が歌手だったことを知るようになりました。子供たちは『歌手で復帰するのがいちばんいい』と幼いながらに思ったのかもしれません」
実母に子供の世話を助けてもらい、森は復帰を果たした。
※女性セブン2015年3月19日号