プロ野球が現在の形になるまでには数多くの球団が生まれ、そして消えていった。今はなき球場で熱戦を繰り広げた選手たちもいる。
週刊ポスト増刊『プロ野球&甲子園 甦る伝説』には、戦前の球団から2004年に消滅した大阪近鉄バファローズまで20球団以上の消えた球団と、後楽園や平和台など懐かしの球場を紹介している。
その“入門編”として消えた球団・球場の歴史をクイズ形式で紹介しよう。
(Q1)1950年代には「接戦があってこそプロ野球」という理想のもと、シーズン勝率が3割5分を下回った球団から罰金500万円を取る制度がありました。適用第1号となった球団の名前は?
(Q2)北海道日本ハムファイターズの前身、東映フライヤーズはかつて東京に本拠地を置いていました。その地名から「○○の暴れん坊」と呼ばれましたが、さてその場所は?
(Q3)「バファローズ」のチーム名で知られた近鉄は、創設当初は全く違う名前でした。その名前は「近鉄○○○○」
(Q4)南海といえば「ホークス」ですが、その前に1年間だけ別のチーム名の時代がありました。つけた後に恥ずかしい思いをしてしまった名前とは?
(Q5)後楽園球場といえば巨人の本拠地のイメージが強いですが、かつては巨人以外の球団も本拠地として使用していました。その球団とは?
答えは下に。
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(A1)大映スターズ
1954年の勝率は3割1分9厘。制度を提唱したのが大映のオーナー・永田雅一だったのは皮肉としかいいようがない。
(A2)駒沢の暴れん坊
東急沿線の「駒沢野球場」が本拠地。1964年の東京五輪の会場整備に伴い解体された。
(A3)近鉄パールス
近鉄沿線に真珠の養殖で有名な伊勢湾があったことにちなむ。
(A4)近畿グレートリング
電車の大きな車輪に由来するが、女性器を意味するスラングだったために変更を余儀なくされた。
(A5)国鉄、東急(東映)、毎日、大映など
最大で5球団が本拠地として使っていたために、ダブルヘッダーは日常茶飯事だった。
※週刊ポスト2015年3月6日号