安倍晋三首相は2月18日の参議院本会議で、TPP日米交渉の早期妥結に意欲を見せた。一連の交渉で、米国は日本にどのような圧力をかけてきたのか。ジャーナリスト・武冨薫氏が日米交渉の闇を抉る。そして、そこには「戦争」の影があると指摘する。
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イスラム国がジャーナリスト・後藤健二氏の殺害予告映像を公表した1月下旬、折しもニューヨークでは「環太平洋戦略的経済連携協定」(TPP)の首席交渉官会合が大詰めを迎えていた。
日本政府はこの場で、米国が求めている牛肉の関税引き下げと米国産米の輸入拡大について大幅な譲歩案を提示したと言われている。
TPP担当の甘利明・経済再生相は1月30日の会見で、「一歩も踏み出せないということであれば交渉が成り立たない」と発言。牛肉やコメなど重要5項目を「絶対守り抜く」としていた政府方針は案の定、腰砕けになった。
TPP交渉は米国側農業団体が日本側の譲歩案を「不十分」とし決着は先送りになったものの、邦人人質事件が日米の駆け引きにデリケートな影響を与えたことは想像に難くない。
イスラム国は、中東を訪問した安倍首相が米国主導の「テロとの戦い」に参加する周辺国に支援表明したことを逆手に取り、人質問題で日本政府に揺さぶりをかけた。
テロリストの要求に応じるか拒否するかの選択で窮地に追い込まれた日本政府は、ヨルダンなど周辺国による仲介の道を模索したが、協力を得るためには米国の意向を窺わなければならなかった。
残された任期でTPP交渉を妥結させ、「政治的功績」にしたいと考えるオバマ政権がこのタイミングで日本に譲歩を迫ったのは間違いないだろう。安倍首相も、「NO」と言える状況ではなかったはずだ。
過去の日米交渉をみても、戦争と貿易摩擦は密接に絡んできた。古くはベトナム戦争(1960~1975年)の長期化によってドル危機に見舞われた米国で保護主義が高まり、日本は繊維や鉄鋼、カラーテレビの輸出自主規制に追い込まれた。
また、GATTウルグアイラウンド交渉の過程で起きた湾岸戦争(1991年)では、米国内で「日本はカネだけ払って血を流さない」という批判が高まり、日本政府は「一粒たりとも輸入しない」としていたコメの部分自由化を最終的に呑まされている。
さらにイラク戦争(2003年)でも、時の小泉政権は自衛隊をイラクに派遣しただけでなく、米国が強く要求していた郵政民営化を推し進めたのだ。
※SAPIO2015年4月号