日本球界初のフォークボーラーとして知られる杉下茂氏は、中日のエースとして川上哲治氏とは選手として対戦した。現役を退くと、1966年に阪神、1968年に中日の監督として巨人V9を率いた川上氏のライバルとなった。9年連続日本一を成し遂げた巨人軍の強さと、現役時代の投球術について杉下氏が語った。
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V9の原動力として、巨人が「ドジャース戦法」を採り入れたことがよく指摘されますが、これも僕はON(王貞治・長嶋茂雄)がいたからこそできた野球だと思っています。
ドジャース戦法とはすなわち「守りの野球」。サンディ・コーファックス(通算165勝、サイ・ヤング賞3回)とドン・ドライスデール(通算209勝、サイ・ヤング賞1回)という、左右のエースがいた時代にドジャースがやっていた野球です。
V9巨人も同じく守りの野球だった。そして守ってさえいればONが必ず点を取ってくれた。それにONが点を取ることは、他球団の戦略までも動かした。他のチームは投手はどうせONに打たれるから、せめて打撃戦にしようと、守れなくても攻撃を優先して選手を集めていました。でも、それでは完全に巨人ペースです。外野手の間を簡単に抜かれるし、抜かれたら必ず長打になっちゃうわけですからね。
僕は中日で現役だった頃、阪神の「打つけど守れない」中堅手の選手にわざと1本打たせるということをやっていました。阪神はその選手の調子が良いと思って最後まで使うから、守備に穴ができる。普通のヒットでも外野の間を抜いて長打になり、点が取りやすくなるんです。
でも、巨人の外野陣はしっかりしていた。高田(繁)、柴田(勲)、国松(彰)や末次(利光)が守る外野は堅く、間を抜く当たりを打つのは至難の業でした。特に高田はフェンスに当たったクッションボールの処理が上手く、三塁線を抜いてもシングルヒットにしかなりませんでした。
※週刊ポスト2015年3月20日号