大塚家具の内紛が泥沼化している。創業者の大塚勝久会長と長女の大塚久美子社長が互いに解任を求めて、3月27日の株主総会に向け委任状争奪戦(プロキシーファイト)を展開中だ。
報道を見る限り、内紛の根本的な原因は経営手法の違いにあったようだ。勝久氏が大塚家具の前身、大塚家具センターを創業したのは1969年。問屋を通さず工場から直接仕入れ、顧客には1人ずつ専任の担当者を付けて、家具から照明までインテリア全般の相談に乗るスタイルで業績を伸ばした。
ところがデフレが進む中、ニトリやIKEAなど低価格を売り物にした大型店が台頭する。危機感を抱いた久美子氏は顧客に名前を書かせる会員制方式が顧客離れを招いているとみて、入りやすい店作りの経営改革に乗り出した。
私にどちらが正しいかを判断する力はない。ここでは「やるべきこと」と「やれること」は違うという点を指摘しておきたい。
会社が行き詰まった。だから改革が必要だ。それは分かる。ところが会社は人間の集まりだから、それぞれ背負ってきた歴史や風土、文化、染み付いた慣習がある。それを無理矢理変えようとすると、何が起きるか。
大塚家具で言えば、勝久氏の会見で大勢の役員や部長たちが後ろに並んだ姿が象徴している。幹部たちの中に久美子氏に反旗を翻そうとする者が相当数いたのはあきらかだ。あのシーンだけで、私は久美子氏の経営力に疑問符を付けざるをえない。
改革路線自体は正しかったとしても、残念ながら会社の現状は受け入れる環境になかったのだ。社長は「正しいからやるべきだ」と信じていたのだろう。だが、少なからぬ幹部が反対なのだから「やれる」環境にはなかった。
トップリーダーの真の責任とは、やるべき仕事や正しい路線を示すだけではない。やるべきことを本当に最後までやり切れるだけの環境が整っているか、を判断することなのだ。ダメなら、まずは環境を整えなくてはならない。
もっと辛辣に言えば、会社経営でも政治でも正しい路線は書店に行けば、いくらでも売っている。リーダーは本を閉じて現場に立ち、どこまでそれが出来るかどうか、を見極めるのが仕事である。
そこを間違えると、肝心の会社や国は変わらず、自分が崩壊するはめになる。残念ながら、久美子社長は少し事を急ぎすぎたのではないか。
※週刊ポスト2015年3月27日号