米メジャーリーグ時代、2度のワールドシリーズ制覇を経験した田口壮。その華やかな経歴とは裏腹に、彼の野球人生は苦難の連続だった。迷い、苦しんだ時、常に彼を鼓舞し続けた人生のバイブルは、「野球マンガ」だった──。
オリックスやセントルイス・カージナルス、フィラデルフィア・フィリーズでチームの優勝に貢献した田口氏は、決して「野球エリート」ではない。出身高校は野球では無名の進学校、兵庫県立西宮北高。ショートを守り、キャプテンとしてチームを引っ張ったが、甲子園とは無縁だった。
「高校時代は『ドカベン』(水島新司・作)をよく読んでいましたね。憧れの甲子園で大暴れする山田太郎たち明訓高校のサクセスストーリーに胸躍らせていました。少しうらやましさを感じながらね」
田口氏は、もうひとつ名作の名前を挙げた。野球人生のバイブルとなった『キャプテン』(ちばあきお・作)である。
「主人公の谷口タカオは僕にとって特別で、人生の師匠ともいえる存在です。人知れず陰で努力することがいかに大切で、偉大かということを教えてくれたんです。谷口が通う墨谷二中は強豪校ではないし、谷口もスポーツエリートではない。しかし努力を積み重ねて、キャプテンとしてチームを背中で引っ張っていく。僕も中学・高校は無名校のキャプテンでしたから、彼に感情移入しながら読みました」
その努力はプロで花開いた。オリックスでは同僚のイチロー(現マイアミ・マーリンズ)に引けをとらない守備力と強肩を誇った。打撃でも勝負強さを発揮し、数々の大舞台で殊勲打を放った。阪神・淡路大震災が起こった1995年と翌1996年には「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ連覇に貢献した。
メジャーでも田口氏の努力と誠実さは高く評価された。カ軍入団後すぐに通訳を介すのを止めたこともそのひとつだった。通訳がいると相手の顔を見なくなるし、向こうもこっちの顔を見なくなる。「これじゃダメだ、自分の言葉で伝えないといけない」と、拙い英語と身振り手振りでコミュニケーションを図った。
そしてメジャー生活の間に米メディアの取材に英語で答えられるまでになり、今では解説者として外国人選手へのインタビューを英語でこなす。田口氏の「陰の努力」をよく示すエピソードだ。
グラウンド内でも「4番目の外野手」として献身的な働きをした。代打でも守備固めでも通用するユーティリティープレイヤーとして活躍。カ軍時代の監督だったトニー・ラルーサは「あんなに素晴らしい選手はいない」と賛辞を惜しまない。チームメイトやファンからも愛される田口氏の姿は、まさに『キャプテン』の谷口そのものだった。
※週刊ポスト2015年3月27日号