【書籍解説】『日本人のここが カッコイイ!』加藤恭子編/文春新書/本体780円+税
最近、外国人の視点から日本と日本人を礼讃する本が目立つ。『日本人のここがカッコイイ!』、『ドイツ大使も納得した、日本が世界で愛される理由』、『イギリスから見れば日本は桃源郷に一番近い国』、『中国が愛する国、ニッポン』、『日本人になりたいヨーロッパ人』、『外国人だけが知っている美しい日本』……。ここ1年間に出版されたものだけでも類書は軽く20冊を数える。その現象が意味するものは何なのか? 日本文学研究者で米国出身のロバート・キャンベル氏が語る。
──今の日本人礼讃本の中身についてはどう思いますか。
キャンベル:幕末から明治にかけて来日した外国人の残した日本論を集めた渡辺京二さん(日本近代史家)の『逝きし世の面影』は名作で、優れた文明批評なのですが、今、流行っている外国人による日本礼讃本に書かれていることは、落とし物をしても戻ってくる、言葉のわからない外国人を騙したりしない、女性が夜道をひとりで歩ける、店員の接客態度が素晴らしい、四季があって自然が美しい……といったことばかりです。
一つひとつはその通りだし、面白いエピソードもあるのですが、そこに深い洞察はないんですね。問題なのはそれを読む日本の読者です。そのように褒められ、満足し、終わり。思考停止しているんですね。
──3.11のとき暴動も略奪も起こらなかったことも必ず触れられ、そこに日本人の素晴らしさを見た、と書かれています。
キャンベル:あのとき日本人が見せた忍耐や秩序は凄いと私も思います。しかし、それで全てが語れるのでしょうか。あの沈黙の中で何を思い、どのような喜怒哀楽を抱えていたのか。日本礼讃本からはそういう深い部分が見えてこないし、日本人自身も、忍耐や秩序の奥にある何かモヤモヤしたものを見つめようとしない。
最近の日本人論は自虐的なものか、無条件の礼讃かのどちらかです。本当はその中間のグレーゾーンにこそ真実があるし、日本人の本当の面白さもあるし、そこを見つめてこそ新しいものも生まれてくるんです。なのに、無条件に褒められて喜んでいるのは、読む者の自己認識がぐらぐらしている証拠です。
少しは批判されることへの免疫力をつけておかないと、国際社会の中で外国人と議論することはできないので、まずいんじゃないかと思うんですね。
※SAPIO2015年4月号