読売巨人軍がリーグ9連覇を達成した1973年、10月20日の中日ドラゴンズ戦に勝つか引き分けるかで阪神タイガースは優勝できる成績だった。この年、江夏豊とともに猛虎投手陣の左右のエースとして活躍していた上田二朗氏がその中日戦を振り返った。
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この試合は、“竜キラー”と呼ばれていた僕(この年の対中日成績は8勝1敗)が投げると思っていた。抑える自信はあったし、実際2日前には僕の先発と決まっていたんです。でも発表された先発は江夏でした。
誰もが首を傾げた。ヘッドコーチの岡本(伊三美)さんがメンバー表を受け取りベンチを出た後、慌ててUターンして戻ってきて、「監督、これでエエんでっか!?」と叫んだくらいですからね。金田正泰監督は「ええねん、ワシが責任を持つ」といっていたが、最後まで迷っていたんじゃないですか。今でもいろんなことがいわれる投手起用です。ただ江夏がチームの大黒柱であることは間違いないので僕は受け入れました。
中日の先発は星野さん。アンチ巨人の星野さんは、阪神に勝って巨人優勝の可能性を残すくらいなら阪神を優勝させてやりたいと思っていたようです。なぜならほとんどストレート、それもど真ん中ばかり投げてきましたから(笑い)。
ところが、阪神打線が力んでしまって凡打の山。星野さんがマウンドで「何をやっとんのじゃ!」と吠えていました(笑い)。また、阪神・池田(純一)さんの大飛球を、ライトの井上(弘昭)さんが超ファインプレーで捕球すると、星野さんがグラブを叩きつけて悔しがっていました(笑い)。
※週刊ポスト2015年3月27日号