1973年の読売巨人軍はリーグ9連覇をしたものの、他を大きく引き離しての優勝ではなかった。ギリギリまで阪神タイガースと優勝争いをし、優勝はシーズン最終戦、甲子園での阪神戦まで持ち越された。阪神は直前の優勝がかかった中日ドラゴンズ戦で負けてチーム全体が萎んでしまい、勢いがない状態で右のエース、上田二朗氏が先発した。上田氏がその日の出来事を振り返った。
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最終戦、甲子園は4万8000人の超満員に膨れあがった。ファンは「巨人に勝って優勝や」と思って来ていたと思います。でも勢いは失われており、先発の僕は2回4失点で降板。ベンチに戻ってからは申し訳ない気持ちで一杯でした。
一方的な展開になり、ファンから罵声が飛び交っていた。終盤は投げ込まれたビール瓶の除去とかで、なかなか試合が進まなかった。結果は0-9の完敗です。
ゲームセットと同時に、2、3人のファンがグラウンドに降りたかと思うと、そのまま大勢がなだれこんできた。そして阪神の選手には一瞥もせず、一直線で三塁側の巨人ベンチへ向かったんです。
異様な光景でした。王(貞治)さんがベンチで阪神ファンに捕まるのが見えましたが、僕らにはどうすることもできなかった。もっとも、僕が止めようとしたら「おまえが悪い!」と袋叩きにあったでしょうから、マネージャーに早く奥に逃げろといわれました(笑い)。
長嶋(茂雄)さんがいなくなっていた(10月11日の試合中に右手薬指を骨折)巨人に負けたのは悔しかった。でも長嶋さんが欠場しても広野(功)さん、末次(利光)さん、槌田(誠)さんが活躍した。巨人は層が厚かったというしかありません。
※週刊ポスト2015年3月27日号