最高学府たる大学の学力低下が叫ばれて久しい。大学には2つの役割がある。学問を究める研究機関としてのもの、そして高度な知識・技能を持つプロフェッショナルの育成機関としてのものだとされる。
特に後者の役割が時代の要請により変化するのは当然だろう。国際化が進んだ時代には「国際〇〇学部」が次々と設立され、英語によるコミュニケーションや諸外国の社会、経済の仕組みを教える大学が増えた。
インターネットやパソコンがビジネスに必須になった1990年代以降は、「情報××学部」のように、ネットやデジタル機器を駆使して高度情報化社会に対応する人材を育てることが大学に求められた。大学経営に詳しいフリーライターの石渡嶺司氏が最新の流行をこう語る。
「2010年代に入って、再び『国際』『グローバル』が増えている。いわゆる“キラキラネーム”の学部はこの10年で一気に増え、最近は保育士の資格取得を売りにするところは『子ども』、無理に独自性を出したいところは長いカタカナ学部名が多くなっている」
例えば、日本各地には「シティライフ学部」、「フロンティアサイエンス学部」、「ホスピタリティ・ツーリズム学部」など、あまり聞き慣れない学部名を掲げた大学が数多く存在する。
社会のニーズに合わせて新しい学問・教育の場ができることは悪くない。ただし、社会の要請ではなく、学生の好みや流行におもねった学部新設であるなら首を傾げざるを得なくなる。今は大学全入時代である。私大の数は過去20年で400校から600校へと1.5倍になり、同じ期間に学部数は2倍以上に増えた。その結果、定員充足率は120%弱あったものが100%ぎりぎりまで落ち込んでいる。
一部の(不人気な)大学は“誰でもいいから来てほしい”と考えるようになる。
「私学の多くは政府から支給される私学助成金に頼って経営が成り立っている。学生数に比例して金額が決まるから、大学としては定員一杯に学生を集めたい。また、それを前提に経営計画を立てているところが大半だから、定員割れは赤字経営につながる。だから九九ができない子でも入れたいし、学生が喜ぶならアニメでもゲームでも授業にする」(都内の私大関係者)
※週刊ポスト2015年4月3日号