初本格的な小説『火花』が、35万部の大ヒットとなっているお笑いコンビ・ピースの又吉直樹(34才)。読書芸人として知られる又吉は中学時代、太宰治に衝撃を受けた。
太宰治は津軽屈指の大地主の六男に生まれ、世の中に絶望して遺書として書いた小説で一躍文壇の寵児となる。露悪的振る舞いや何度も心中事件を起こしたことでも有名で、自己を道化とみなす告白体の文章にやられた人は多い。太宰は、上から見ているもうひとりの自分と生きているのだった。又吉が太宰を語る。
「太宰って共感させる力がムチャクチャ強いんですよ。なんでおれしか知らんことを書いてんだろう、と。あと、物語を破壊することとか、物語がどんどんひっくり返って、どれがほんまなんかいな、みたいな構造になっていることとか、小説家としての発想にも驚かされる。哀愁もあって、何より笑えるし。
太宰ショックと相前後してダウンタウンさんを見たときも、ぼくは同じような衝撃を受けましたね。ダウンタウンさんと太宰は似ている! と。共感力もそうですが、太宰が小説でやっているようなことをダウンタウンさんは毎週コントの中でやっていた。それがテレビで見られた。ダウンタウンさんには思春期の頃、とんでもない影響を受けたと思います」(又吉・以下「」内同)
お笑い芸人になろうと決めたのは、間寛平師匠も好きだった多感な中学生の頃。高校はサッカーの強豪校に進み、インターハイの大阪府代表になるなどプロへの道も開けていたが、高校卒業と同時に、胸に秘めてきた芸人になるという意志を貫いた。
「でも、本当は芸人じゃなくてもよかったんです。この小説の中で神谷(主人公の芸人・徳永の先輩芸人)が“何かになろうと思ったら永遠になられへん”と言っていて、それ、わりとぼく、ほんまに思ってること。目的があるんじゃなく、行動というか行為が先にある。例えば、日常の7割くらいお笑いやって、2割くらい文章書いて、残りの1割で、好きな服着たり自由律の俳句詠んだり散歩したりして食っていける職業があって、それが『変』(へん)という名前の職業だったら、ぼくは変になっていたと思うんです」
又吉青年が大阪から上京して住んだのは、太宰邸の跡に建ったアパートだった。当時つきあっていた女の子も太宰の妻と同じ名前。鳥肌が立つような偶然とはいえ、これほど揃うと必然に思えてくる。
太宰は生前、みっともないほど芥川賞を欲しがった。懇願の手紙をもらった川端康成が困惑するほど。今『火花』で文壇の寵児となった又吉直樹が、芥川賞も夢じゃないような地点にいるかに見えるのは、誰かが無念を晴らしたがっているからに違いない。
※女性セブン2015年4月9・16日号