満州国という人工国家の成り立ちから終わりまでを、歴史に翻弄された四兄弟の生き様を通じて描き切る船戸与一氏の大河小説『満州国演義』(新潮社)全九部がついに完結した。
この小説は、歴史とは何か、国家とは何かという大きな問いを読者に突きつける。今の時代とどんな関係があるのか。作家・高山文彦氏が船戸氏に聞いた。
──満州国という人工国家を考えた場合、どうしてもいまのイスラム国を連想してしまう。船戸さんはどう見ていますか。
船戸:イスラム国は確かに狂犬集団と言っていいと思うし、それで片付けるのは簡単だよ。だけど一方で、イスラム国がある一面の真理を突いているのは確かなんだよ。
それはまさに、第一次大戦後のアラブを、つまり、オスマントルコ帝国の分割をどうするかとして、ヨーロッパがああいう国境を決めた。
以来、第二次大戦後の中東の争いというのは、一つはイスラムをどうするか。もう一つは、アラブ民族をどうするかということだよ。似たように見えるけど、これは違うと思うんだよ。
イランイラク戦争のときに、イラン首相のバニサドルが最高指導者のホメイニから更迭されるわけ。それは、バニサドルが「戦争に行って、イランのために戦え」と言ったことが、ホメイニの逆鱗に触れた。「なぜおまえはイスラムのために戦えと言えないのか」と。
つまり、中東情勢に関しては、アラブ民族主義でいくのか、ないしはイスラム主義でいくのかというふうに、いつも分かれる。そのなかで、民族主義でいくというのが、代表的にはイラクのサダム・フセインであり、宗教でいくというのがイランのホメイニなんだよ。アラブ民族主義とイスラム主義が常に競合しながら、これまでのアラブはあった。
そのなかでイスラム国のバグダーディーが言っているのは、「オスマントルコの版図まで戻す」ということ。要するに、イスラム国はオスマントルコを認めることで、アラブ民族主義ではなく、イスラム主義で行くと明確に定めた。
そして、第一次大戦後に定まった、ヨーロッパによる秩序体系を壊すというわけだ。この「歴史修正主義」は、やはりヨーロッパに対してはとてつもない恐怖だと思うんだよ。
※SAPIO2015年4月号