【書評】『将軍と側近 室鳩巣の手紙を読む』福留真紀著/新潮新書/780円+税
【評者】平山周吉(雑文家)
江戸城内のインサイダー情報が詰まった本である。三百年の歳月をひとっ跳びして、将軍も老中も側近も、馴染みの人物のように身近に感じられてくる。それもそのはず、外聞を憚る内容が多いため、焼却処分となるはずだった手紙がネタ元なのだ。
手紙の書き手・室鳩巣(むろ・きゅうそう)は八代将軍吉宗のブレーンとなった儒学者である。室鳩巣が門弟たちに送った手紙をまとめた「兼山秘策」は、江戸時代から写本が流布していたという。なまぐさ政治学の格好の参考書であり、幕府の政策決定過程が如実にわかる逸話集だったからだ。
室鳩巣は、六代将軍家宣のブレーン・新井白石の推挙により、権力の内側に入っていく。その翌年、家宣は死去、息子の第七代将軍家継も八歳で病死し、紀州から吉宗が乗り込んでくる。
権力の交代期は、将軍に取り立てられた側近やブレーンと、幕府の官僚である老中たちのサバイバルを賭けた政治闘争の場となる。誰が将軍様に重用されるか。どのルートが影響力を行使できるか。いかに売り込みを成功させるか。思惑はさまざまに交錯する。
すでに老境に入っていた室鳩巣は、真面目な儒学者らしく、その人間喜劇を一歩引いて見ている。新井白石のような強烈な自負はもっていないから、観察者としてはむしろ適役だ。手紙の宛て先は親しい門弟だから、本音で語っている。著者の福留真紀の現代語訳も適切で、生き生きと息遣いを伝えている。
既得権益の壁のような老中たち。復権を図る儒学の林家の当主・林信篤。寺格を上げようと画策する増上寺の僧侶たち。人員整理のアフターケアに苦慮する老中・久世重之。新しい政治手法でリーダーシップを発揮しようと、ヤル気満々の吉宗。室鳩巣は晩年になって、吉宗の諮問にあずかる立場を獲得してゆく。
江戸時代を身近なものにする福留真紀の才筆は、女性版の磯田道史(『武士の家計簿』)になる可能性を秘めている。
※週刊ポスト2015年4月10日号