ボクシング界の「世紀の対決」が1か月後に近づいてきた。5階級制覇王者にして47戦47勝のフロイド・メイウェザー(38・米国)と、史上2人目の6階級制覇王者マニー・パッキャオ(36・フィリピン。戦績・64戦57勝5敗2分)のドリームマッチが、いよいよ5月2日に実現する。
今でこそ世界的スーパースターとなったパッキャオだが、実はスターへの階段を駆け上がっていた頃に日本のリングに一度だけ上がっている。そこで対戦したのが元日本フライ級2位の寺尾新氏だ。試合は、パッキャオが1R2分59秒でKO勝ちした。
パッキャオに手も足も出なかった寺尾氏だが、決して弱いボクサーではなかった。パッキャオ戦後の1999年には日本フライ級タイトルマッチで、後にスーパーフライ級で世界チャンピオンとなるセレス小林と対戦。9RTKOで敗れるが、強豪と互角に渡り合っている。
寺尾氏にとって「パッキャオと戦った唯一の日本人ボクサー」という肩書きは人生に大きな影響を与えた。前述のセレス小林との対戦を機に引退し、現在は2012年にオープンしたキックボクシングジム「PREBO」(神奈川・相模原市)の会長を務めるが、そこに至るまで不動産会社や介護職員など様々な職を転々とした。それでも職にあぶれなかったのは“パッキャオのおかげ”だった。
「履歴書を送った介護施設では、社長が『あのパッキャオと戦ったボクサーか』と興味を持ってくれて採用されました。今のジムも知人の整骨院のオーナーの尽力で開くことができました。パッキャオが活躍するたびにマスコミから取材を受けて注目されます。今の生活があるのは、パッキャオのおかげです」
一方のパッキャオも日本で寺尾氏と対戦したことは記憶に留めているという。寺尾氏が所属した八王子中屋ジムの中屋廣隆会長はこう話す。
「数年前、パッキャオは日本人記者に日本の印象を聞かれて『日本は寺尾と戦った思い出の国』と話してくれたんです。彼が覚えていてくれたことが嬉しかった。パッキャオと戦えたことは寺尾にも私にとっても大きな誇りです」
※週刊ポスト2015年4月10日号