V9巨人、日本一を争ったパ・リーグのライバルは阪急ブレーブスだった。5度にわたって日本シリーズを戦った阪急を率いたのは「悲運の名将」西本幸雄監督。その傍らには、名参謀として西本を支え、のちに監督として阪急の黄金期を築いた上田利治氏がいた。上田氏が、プロ野球史上最年少となる25歳で広島の打撃コーチになってからの長い指導者人生で、影響を受けた名監督について語った。
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監督になるにあたって、僕は3人の名監督を参考にしました。西本さん、南海の鶴岡(一人)さん、そして川上(哲治)さんです。3者には違う特徴がありました。
西本さんは、忍耐と情熱でチームを引っ張っていた。鶴岡さんは選手の気持ちを汲んでやろうというスタイルでしたね。現役時代、強制的にやらされた意識が反面教師になっていたと思います。
そして川上さんは圧倒的な存在感で選手を従え、強権を振るっていました。
西本さんと川上さんの違いは、川上さんの冷酷にも見える決断力が西本さんになかったことですかね。投手交代の場面ではまずキャッチャーの意見を聞いた西本さんと、有無をいわさず交代させた川上さん。川上さんは「牧野(茂コーチ)に迷惑をかけた」と漏らしていましたが、牧野さんがバッテリーをフォローしていたのでしょう。
それができたのは、現役時代の威光があったからだと思います。僕や西本さんに比べ、川上さんには圧倒的な実績があった。実績は指導者としての大きな武器となり、言葉に力をつける。苦労も説明も我々の半分で済んでいた。川上さんのコーチ時代から知っていますが、僕らのような実績のない指導者と違い、最初からカリスマ性がありました。
※週刊ポスト2015年4月10日号