「クールジャパン」の象徴と持て囃される日本酒。なかでも国内外で注目を集める「獺祭」(だっさい)の蔵元である旭酒造の桜井博志社長(64)は、いかにしてブームの牽引役となり得たのか。ノンフィクションライター・高川武将氏が迫る。
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口に含むと、さらりとした口当たりで華麗な甘みが広がる。ごくりと呑み干すと、雪が溶けるように消えてなくなった。鼻腔に芳醇でフルーティな香りだけを残して。
純米大吟醸酒『獺祭 磨き二割三分』。不思議なほどの後味の良さに、旭酒造の敷地内にある直売店で、一杯100円の試飲を何度も試した。注文に生産が追いつかず、入荷は2か月待ちで、この日も直売店でさえ売り切れていた。
山口県岩国市周東町獺越は、山と川とまばらな民家のほかには何もない、本当に獺が出てきそうな過疎地だ。直売店の目の前には、工事中の12階建てのビルが聳え立ち異彩を放つ。
この本蔵が完成すれば、生産能力は現在の1万5千石(*1石=10斗=1800リットル)から一気に5万石に増える。設備投資にはこの5年で約50億円をかけている。
「品不足を解消したいんです。お客様に美味しいと言って貰いたいのに、中々買えないのは申し訳ないですから」
社長の桜井博志はにこやかにそう言った。紺のジャケットに白いジーンズ、足元には赤い靴下。今年65歳になるとは思えないほど若々しい。
奇跡の酒と言われる。獺祭はこの5年間毎年30%近く売り上げを伸ばし、年商はこの10年で約13倍の49億円(2014年)。全国の日本酒消費量がピーク時の3分の1に激減している中で、純米大吟醸の分野で一人勝ちの感さえある。だが、かつて旭酒造は倒産寸前の危機的状態に喘いでいた。
なぜ、桜井は奇跡を起こせたのか。そこには革命的な酒造りの手法がある。日本酒は室町時代から杜氏たちによって造られてきた。蔵元は酒造りに口を出さず売ることに徹するのが、業界の常識である。だが桜井は経験や勘に任せきりだった製造工程を次々と刷新した。それは一見、伝統を捨てたようにも見えるが、桜井は一笑に付す。
「よく捨てる経営なんて言われますけど、そんな格好いいものじゃない。目の前の危機をいかに乗り切るか。しつこく、女々しく(笑)、諦めずに、しがみついてやってきた結果なんです」
日本酒造りの革命は逆境の連続から生まれた。
※SAPIO2015年5月号