【書評】『日中間海底ケーブルの戦後史 国交正常化と通信の再生』貴志俊彦著/吉川弘文館/2700円+税
【評者】大塚英志(まんが原作者)
この頃、中国や韓国の友人とシンポジウムや学会で会う度に、東アジアのアニメーション史の話をする。
先日は、満映で中国人アニメーターを指導した人物が、戦後、日韓基本条約後、日本政府主導の、いわば「戦後補償」の一部として韓国アニメーターの育成を行ない、それが結果として一時期の韓国が日本アニメ界の下請けシステム成立のきっかけにもなった、などという話を聞いた。中国の学会では、戦時下のプロパガンダアニメ『桃太郎の海鷲』のスタッフの一人、持永只仁も満映に渡り、敗戦後の中国で指導に立ったいきさつの話がでた。
満映の日本人アニメーターの重要性を指摘してくれたのは、いずれも別々の韓国の友人なのだが、戦時下、戦後の東アジアとの繋がりを見失うと、この国のアニメ史は見失われる部分が大きい、といつも思う。
本書は十五年戦争後、断絶したままであった日中間海底ケーブル設置が、文字通り、日中国交正常化後の両国を「つなぐ」ものだったことを丹念にたどる。国際海底同軸ケーブルは戦後、まず、日米、日ソ間で開通し、日本の国際社会への復帰の象徴であり、次に試みられたのが、日中間海底ケーブルの設置であった。
戦後初の日中共同事業として、技術だけでなく国家体制、習慣、文化、そしてもちろん歴史認識まで含めての差異を一つ一つ具体的に乗り越えるため、24年を費やしながら、技術トラブルなどで実際の運用は15年に過ぎない。デジタル化が急速に進み、運用は1997年に停止してしまった。
しかし、戦時下の日本が中国大陸向けに布設した海底ケーブルが「帝国主義」のインフラだったとすれば、「戦後」、日中だけでなく、東アジア、東南アジアをもつないでいた海底ケーブルは、いかなる理念の反映たり得たのか。言葉がひどく上滑りする時代、文字通り「水面下」で「つながり」を作ろうとした人々の戦後史を、どの分野でもこの国は見失っていることを痛感する。
※週刊ポスト2015年4月24日号