「きんぎょ~えっ、きんぎょっ。あぁ~、コイの子に、メダカの子」
30kgの桶を2つ1.3mの天秤棒で肩に担いで、伸びのある声で歩く浦島さん。昭和40年代まで、「金魚ふれ売り師」と呼ばれた人々は全国に1000人以上いたが、今では浦島義弘さん(80)一人になった。
「19歳でこの世界に入りました。最初は恥ずかしくて声が出なくて、大通りを避けて細い道ばかり売り歩いたもんです」(浦島さん)
金魚売りの桶には酸素吸入器がない。それでも金魚は元気に泳いでいるのはなぜか。
「天秤棒で担いで売り歩くから、桶の中身が揺れてうまい具合に酸素が混ざるんです。だから休んじゃいけない商売なんです(笑い)」(浦島さん)
浦島さんを地元で知らぬ人はいない。近所の公園でひと節声をあげると、「あ、金魚のおじさんだ!」と、たちまち子供たちが取り囲む。
「1人でも多くの子供たちに『金魚のふれ売り』という文化があることを知ってもらいたいですね」(浦島さん)
地域のイベントや小学校の課外授業に引っ張りだこの浦島さんは、「年をとる暇もない」と笑う。
撮影■江森康之
※週刊ポスト2015年4月24日号